小説「新・人間革命」 7月23日 命宝21
パール博士は、原爆死没者慰霊碑に刻まれた文章の主語は、日本人であると考えた。
しかし、原爆を落としたのはアメリカであり、日本人は被害者である。その日本人が“過ちは繰返しませぬから”と言うことが、博士は、納得できなかったのだ。
このパール博士の発言は、ラジオや新聞で取り上げられた。
これに対して、広島市長の浜井信三(当時)は、「あれは原爆の犠牲者に対し広島市民に限らず、生きている全人類の立場を代表した言葉だ」(注1)と述べている。
また、碑文の作者・雑賀忠義は、「広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちを繰り返さないと霊前に誓う
――これは全人類の過去、現在、未来に通じる広島市民の感情であり、良心の叫びである」(注2)と、パール博士に抗議文を送っている。
碑文をめぐる論争は、一九七〇年(昭和四十五年)にも再燃。碑文は屈辱的であり、抹消すべきだという運動も起こっていた。
山本伸一は、敗戦国を擁護し、尊重する、パール博士の心を、嬉しく思った。
しかし、伸一は、この碑文は、核戦争の過ちを二度と起こさないという、人類の誓いであるととらえていた。
誰が加害者で、誰が被害者であるかを明らかにすることも必要であろう。だが、慰霊碑にとどめるべきは、平和への誓いである。
また、被害者であるとの考えのみにとらわれ、加害者を糾弾しているだけでは、憎悪と報復の連鎖を繰り返すだけである。
世界の恒久平和を創造していくには、被害者・加害者という分断的な発想を転換し、地球上のすべての人が、同じ人類、世界市民としての責任を自覚することが必要である。
伸一は、慰霊碑の言葉は、それを世界に明示するものとして、高く評価していたのだ。
その言葉を、広島の、日本の、そして、世界の人びとの誓いとしていくには、人類の心の結合が不可欠だ。それを可能にする生命尊厳の哲理こそが、日蓮仏法なのである。
引用文献
注1 「中国新聞」1952年11月7日付
注2 『ヒロシマの記録――年表・資料篇』中国新聞社編、未来社
しかし、原爆を落としたのはアメリカであり、日本人は被害者である。その日本人が“過ちは繰返しませぬから”と言うことが、博士は、納得できなかったのだ。
このパール博士の発言は、ラジオや新聞で取り上げられた。
これに対して、広島市長の浜井信三(当時)は、「あれは原爆の犠牲者に対し広島市民に限らず、生きている全人類の立場を代表した言葉だ」(注1)と述べている。
また、碑文の作者・雑賀忠義は、「広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちを繰り返さないと霊前に誓う
――これは全人類の過去、現在、未来に通じる広島市民の感情であり、良心の叫びである」(注2)と、パール博士に抗議文を送っている。
碑文をめぐる論争は、一九七〇年(昭和四十五年)にも再燃。碑文は屈辱的であり、抹消すべきだという運動も起こっていた。
山本伸一は、敗戦国を擁護し、尊重する、パール博士の心を、嬉しく思った。
しかし、伸一は、この碑文は、核戦争の過ちを二度と起こさないという、人類の誓いであるととらえていた。
誰が加害者で、誰が被害者であるかを明らかにすることも必要であろう。だが、慰霊碑にとどめるべきは、平和への誓いである。
また、被害者であるとの考えのみにとらわれ、加害者を糾弾しているだけでは、憎悪と報復の連鎖を繰り返すだけである。
世界の恒久平和を創造していくには、被害者・加害者という分断的な発想を転換し、地球上のすべての人が、同じ人類、世界市民としての責任を自覚することが必要である。
伸一は、慰霊碑の言葉は、それを世界に明示するものとして、高く評価していたのだ。
その言葉を、広島の、日本の、そして、世界の人びとの誓いとしていくには、人類の心の結合が不可欠だ。それを可能にする生命尊厳の哲理こそが、日蓮仏法なのである。
引用文献
注1 「中国新聞」1952年11月7日付
注2 『ヒロシマの記録――年表・資料篇』中国新聞社編、未来社