【第6回】 民主主義の父 リンカーン 2009-7-10 (下)

人民のために!



1861年の3月、リンカーンは、大統領就任式に臨んで語っている。

「人民が選挙によって私を選び、演説の中で述べられた希望を実現するための道具としてくれたわけです」(『リンカン民主主義論集』)

自分を選んでくれた人民に、いかに応えてゆくかー。

出発点が明快であった。さらにまた、リンカーンは、大統領の就任式で宣言した。

「なぜ、国民の究極の正義をあくまでも信頼しようとする姿勢がないのでしょうか?

それ以上の、あるいはそれに匹敵する希望がこの世に存在するでしょうか?」(前掲書)

すべての為政者が耳を傾け、心すべき警鐘であろう。

リンカーンには、この確固たる哲学があった。理念があった。ゆえに、現実処理のみに追われ、自己保身に汲々とするのではない。

現実に深く根差しつつ、常に人民を信じ、人民のためにと、リーダーシップを発揮していった。

国家の命運を担う大統領として、奴隷制度は悪であるとの断固たる信念に立ちつつ、

冷静に事態を分析し、最大限に智慧を働かせて、でき得る限り、穏健な路線を進んだ。

政治の目的は、「個人の幸福」と「社会の繁栄」との一致にあるとは、恩師・戸田城聖先生の慧眼であった。

その理想を実現するためには、どんなに時間がかかろうとも、どんなに苦労があろうとも、人民の大地から、人民の手づくりで、リンカーンの如き哲人指導者を育て上げていく以外にない。

これが、戸田先生の結論であった。

数多の犠牲を払って、なお続いた南北戦争ー。

火薬の臭いが漂う緊張した空気のなか、彼は第2期の大統領就任演説で、こう訴えた。「なんびとも悪意をいだかず、。こう訴えた。かず、すべての人に思いやりを示し」と(同)。

それは、道徳を基盤とした政治こそ真の民主政治であるとの信条に裏打ちされていた。

リンカーンは、一党一派の利益や一部勢力の便宜のために働くのではなく、国家百年の大計、さらには全世界的視野に立っていたといってよい。

彼は北部の出身であった。

しかし、常に連邦全体の発展に焦点を当てていた。

また当時、世界に民主国家と呼べる国は皆無に等しかった。彼は、アメリカの民主主義を確立することによって、世界の民主主義を擁護するチャンスと責任が生まれると考えていたのだ。

そのためには、「自由を愛する世界中の人びとが」心を一つにすることだ。

そうすれば、「われわれは連邦を救うだけにとどまらない」「あとにつづく数百万人の幸福な自由人と世界中の人びとは立ち上がり、末代までもわれわれを賞賛するだろう」と、リンカーンは確信してやまなかった(同)。

この情念の通り、1863年1月に「奴隷は即時、無償解放される」と宣言した。

世界史に、そびえ立つ自由と平等の燦然たる金字塔を打ち立てたのである。

リンカーンは言った。

「私の哲学に、偶然はない。すべての結果には、原因があるものだ。過去は現在の因であり、未来の因は現在にある。

すべては、有限から無限へと続く終わりなき鎖のようにつながっているのだ」

要するに、座して黙しているだけでは、何も開けない。

リンカーンは、一貫して言論で民衆を力強く鼓舞していった。

直接、語りかけただけではない。

南北戦争の渦中には、当時、全米にネットワークを広げていた電報を価値的に活用した。

軍事電報局を拠点として、遠く離れだ最前線の指揮官に直接、打電し、指令や激励を、時には夜を徹して送り続けたのである。

リーダーが安住していては、人の心を動かすことなどできない。まして油断は大敵である。

即座に報告を入れよ!

即座に手を打つのだ!

これは、かのアショカ大王が貫いた鉄則でもあった。

今、この時に、できることは何か。勝利のため、なすべきことは何か。頭を絞り、智慧を出し、声の限りを尽くして、皆に勇気を贈ることである。真の雄弁家とは「戦う人」の異名である。

言論闘争とは、いつ、いかなる場所にあっても直ちに起こせる戦いである。

私も、どこに身を置いても常在戦場の決意で、日本はもちろん、世界の友に激励の手を打ってきた。夜行列車の車中で原稿を書いたことも、移動の車から和歌を発信したことも、数を知れない。

雄弁の本質について、リンカーンは論じている。

それは、「言葉や文章のうまい並べ方ではない。「真摯で情熱約な口調と態度」にある。そして、「目的および正義の重要性にたいする強い確信と偉大な誠実さにのみ由来する」というのである(同)。

大事なのは、格好ではない。

真剣であり、真心である。

誠実であり、勇気である。

情熱であり、確信である。

友の心を歓喜と感動で揺さぶり、敵には舌鋒鋭い破邪顕正の矢を放っていくのだ。

御聖訓には、この師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる」(御書1316ページ)と説かれる。



宗教こそ不可欠



リンカーンは「信教の自由」を尊重してやまなかった。

宗教の公然たる敵、またほその噸笑者であるのがわかっている人を公職に推す気にはとうていなれない」とは、あまりにも有名な言葉である(B・P・トーマス著、坂西志保訳『リンカーン伝㊤』時事画通信社)。

宗教をあざ笑うような無知にして驕慢な人間こそ、民主主義の破壊者である。

ホイットマンも洞察した。

「崇高で真摯な宗教的民主主義が厳然として指揮し、古臭いものを分解させ、表面を脱皮させて、それ自らの内面的な生命の原理から、社会を再建し民主化してゆく」

鍋島能弘訳「民主主義の予想」、河出書房新社『世界大思想全集、哲学・文芸思想篇25』所収)

真正なる宗教住こそ、民主主義の建設に不可欠なことを展望していたのである。

こうした世界の民主主義の趨勢を踏まえつつ、恩師は、政治を鋭く監視していくことを青年に託されたのだ。



女性から始まる



ある日ある時、リンカーンは涙を浮かべながら語った。

「今の私があるすべては、そして将来、私がなすことのできるすべては、天使のような母のおかげである」

母への尽きせぬ感謝、そして報恩ーそこにこそ民衆へ奉仕する力の源泉がある。

ホイットマンは謳った。

「女性の正義のなかから、あらゆる正義が開かれ現れる。

女性の共感のなかから、あらゆる共感が開かれ現れる」

リンカーン、そしてホイットマンが、わが創価の母たち、女性たちの「正義」と「共感」の連帯を見つめたならば、何と賞賛し、何と詠嘆したことだろうか。

この尊極の母たち、女性たちの笑顔が明るく満開に咲き薫る人間社会にこそ、民衆の勝利の実像があるのだ。

歴史を変える戦いは、最も苦しい試練の時にこそ、最後まで頑張り抜く「執念」で決まることを、リンカーンは、繰り返し訴えていた。

2007年9月8日ー。

恩師の「原水爆禁止宣言」50周年を記念して、ニューヨークのクーパー・ユニオン大学で、核兵器の廃絶を世界に呼びかける「市民平和フォーラム」が盛大に開催された。

会場となったキャンパスは、リンカーンが、奴隷制度の是非を問う歴史的な演説を行った、ゆかりの場所である。「市民平和フォーラム」へのメッセージを、私は、そのリンカーンの演説で結んだ。

「正義は力であるとの信念をもち、この情念に立って、自身の義務であると信じることを最後まではたそうではありませんか」(リンカン民主主義論集』)



本文中に明記した以外の主な参考文献=高木八尺斎藤光訳『リンカーン演説集』岩波文庫本間長世著『リンカーン中公新書井出義光著『リンカーン南北分裂の危機に生きて』清水新書、本間長世著『正義のリーダーシップ リンカンと南北戦争の時代』 N T T出版、巽孝之著『リンカーンの世紀』青土社  

リンカーンの座像の写真は@Wolfgang Kaehler/ CORBIS