小説「新・人間革命」  7月27日 命宝24

山本伸一は、この広島での本部総会に向かって、果敢な平和行動を展開してきた。

 前年の一九七四年(昭和四十九年)の五月以来、わずか一年半のうちに、中国を三度、ソ連を二度にわたって訪問。ソ連のコスイギン首相、中国の周恩来総理をはじめ、両国の要人と、対話を重ねてきた。

 その最大の眼目は、一触即発の状況にある中ソ紛争の和解の道を探ることであった。また、日中、日ソ間に、平和と文化と教育の「友好の橋」を架けることであった。

 さらに、この七五年(同五十年)の一月には、アメリカを訪問し、国連本部でワルトハイム国連事務総長と会談。仮称「国連を守る世界市民の会」の設置を提唱した。

そして、青年部が一千万人から集めた、戦争の絶滅と核廃絶を訴える署名の一部を手渡したのである。

 また、キッシンジャー国務長官とも初の会談を行い、中東問題、米ソ・米中関係などについて語り合った。

 伸一は、中東の紛争解決の基本原則を示すとともに、東西冷戦の終結への流れを開こうと、懸命に対話を交わしたのである。

 その帰途、SGI(創価学会インタナショナル)の結成となる、グアム島での第一回「世界平和会議」に出席し、SGI会長に推挙され、就任したのである。

そして、全世界に仏法の人間主義に基づく平和の連帯を広げ、この広島の地に来たのだ。

 平和への闘争は、生命尊厳の哲理を持った仏法者の使命である。

 平和のために、何をするのか――その具体的な行動こそが、肝要なのである。

 「行動のみが歴史である」(注)とは、イギリスの詩人ブレイクの名言である。

 伸一は、献花の準備にあたってくれた広島の青年たちと、固い握手を交わした。

 「人生は早いよ。だから私は、一瞬一瞬が真剣勝負だという思いで戦っているんです」

 彼らは、広島に到着してからの伸一の行動に、その「真剣勝負」を実感してきた。



引用文献:  注 「絵画の解説目録」(『ウィリアム・ブレイクの詩と散文全集』所収)ダブルデー社(英語)