随筆 人間世紀の光 NO.195  「正義」の旗高く!(上) 2009-7-29

この人生 共に生き抜け 勝ち抜けや 正義の道を 勇気で悔いなく



躍動の夏、鍛えの夏だ。

未来部の友もばつらつと学び、成長してくれている。

伸びゆく鳳雛の歌声を聞けば、無限の希望が広がる。

弾むリズムの少年部歌は「ビー・ブレイヴ!」(勇気を出して!)と歌い上げる。

「ビー・ブレイヴ」とば、あの喜劇王チヤップリンも大切にした言葉だ。

「ビー・ブレイヴ!フェイス・ライフ!」

勇気を出して、人生に立ち向かえー名画「街の灯」の一場面だ。 

臆病は、戦う前から侘しく敗北である。勇気ある行動は、朗らかな勝利の劇だ。

日蓮大聖人は熱原の法難の渦中、鎌倉の四条金言はじめ門下一同に言われた。

「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書二九○ページ)

我らは、いかなる広宣流布の激戦にも「師子王の心」で勇敢に立ち向かう。

合言葉は「勇気の大前進」「正義の大攻勢」である。

法のため、人びとのため、社会のため、そして未来のために、何ものも恐れず、我らは戦い強む!「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(同五○二ページ)との如説修行の御金言のままに!

この人知れぬ労苦の歩みこそが、黄金の栄光と福運の足跡となる。その道には、未来の逸材たちが力をつけて続いてくれるのだ。

ともあれ、炎暑の夏である。皆、お体を大切に!

特に、今回の中国地方と九州北部の豪雨の被害に、改めて心からお見舞いを申し上げます。被災地の皆様方のご健康と復興を、深くお祈りしております。



日本一 いな世界一の 神奈川は 創価の模範か 広布の模範か

港は、一切の起点だ。

神奈川は、常に創価の勝へ出発しゆく港である。

わが神奈川から、連続勝利の波動を!

わが横浜から、師弟完勝の金波銀波を!



この祈りを込めて、私が新しい神奈川文化会館を初訪問したのぱ、昭和五十四年の四月のことである。

あの嵐の渦中、世界へ開かれた横浜の天地に、新会館が誕生したことは、不思議の中の不思議であった。

邪宗門と反逆の輩の陰謀が荒れ狂う中で、広宣流布の前進を指揮できるよう、日蓮大聖人から賜った法城と拝されてならなかった。

この神奈川で、誉れ高き栄光の「七つの鐘」を打ち鳴らせ!そして、いよいよ、世界広宣流布の出航の銅鑼を乱打するのだ! と。

この正義の反撃の本陣を目指して、神奈川はもとより全国から、多くの同志が澎湃と駆けつけてくれた。



白糸の 誓い忘るな 祈るらむ 君らはわが弟子 いざや立ち征け



昭和五十四年の夏八月十八日には、わが「自糸会」の青年たちが、熱き誓願に燃えて集い来てくれた。

自糸の滝が流れる静岡・富土宮で結んだ師弟の絆を胸に、結成十一周年の総会を開いた会場が、神奈川文化会館だったのである。

十年一剣を磨き、「いざ鎌倉」と馳せ参じてくれた弟子たちの心意気が、私は何よりも嬉しかった。

「本当の広宣流布の攻防戦が始まったんだ。これから面白くなるぞ!」

白糸の盟友たちは、再び、滝の如く激しく、王者の大行進を!と約し合った。

じつは、「白糸の滝」は、全国各地に存在する。

私が「滝」の詩を寄せた青森・十和田市奥入瀬渓流にも、白糸の滝がある。

山形・戸沢村の自糸の滝は、日本の滝百選の一つだ。

福島・猪苗代町、群馬・長野原町、山梨の韮崎市小菅村、長野・軽井沢町、岐阜・下呂市、島根・隠岐の島町、広島の呉市廿日市市、山口・美祢市、福岡の前原市飯塚市等にも、

白糸の滝がある。

そして、わが横浜の旭区にも、凛とした白糸の滝があると伺った。

清冽な滝水がやがて注ぎゆく帷子川は、旭区と共に勝利の前進を続ける保土ケ谷区に流れ通い、横浜港へと注ぎゆくのだ。



男は「滝」の如く!



「滝」は壮年部の象徴だ。

今、全国で、滝の如く、朗らかに堂々と、わが壮年部が立ち上がってくれている。

景気は、依然として深刻だ。先行きの見えない混迷が続いている。その中で、壮年部の戦友は、歯を食いしばって奮闘する日々だ。

本気の男の姿は、」一騎当千」である。旭区には、その名も「万騎が原」と呼ばれる古戦場がある。旭・保土ケ谷、そして神奈川の壮年部は、まさに一騎が「万騎」に匹敵する力を発揮せんと意気軒昂だ。



大いなる 使命と決意の 神奈川の 多宝の城を 築かむ地涌



先日の本部幹部会で、プラジルの「人道の英雄」ホンドン元帥を紹介した。

この元帥は民衆の幸福と繁栄を願って、アマゾンの奥地まで歩きに歩いた。

その距離は四万キロ。地球の赤道一周に当たる道のりを歩き通して、人びとと対話し、尽くしていった。

人生は歩いた人が勝つ。

喋った人が勝ちである。

ホンドン元帥は、師匠を胸に、九十歳代に入っても、心軽やかに行動を続けた。

そして人生の最後の最後に「共和国、万歳! 共和国、万歳!」と叫び切って亡くなったのである。

大神奈川にも、そうした功労者が無数におられる。

その多宝の方々は、私と妻の胸奥に深く刻まれて離れない。いつもいつも題目を送り、後継のご家族のご多幸を祈り続けている。



恐れなき 仏の大軍 賑やかに 神奈川天地で 舞いに舞いゆけ



大聖人の御在世から、神奈川は立正安国の主戦場であった。だからこそ、三障四魔も紛然と競い起こる。

正法正義なるゆえに、魔軍との乱戦は当然のことだ。

「悪口罵言」も「猶多怨嫉」の難も、最大の名誉である。

そのすべてをはね返し、祈り勝ち、攻め勝ち、競り勝ってきた。これが、あの四条金吾、日妙聖人など、鎌倉の門下が留め、今日の神奈川創価学会に脈打つ誇りである。誉れである。

大聖人が金吾に示された天台大師の御文がある。

「信力の故に受け念力の故に持つ」(同二三六ページ)

すなわち、正しき信仰を受持することこそ、人間として究極の「信念」であると言われるのだ。

この最極の信念の対極にあるのが、「へつらい」であり「臆病」である。ゆえに、大聖人は金吾に対し、繰り返し戒められた。

それは「すこしも.へつら(諂)はず振舞仰せあるべし」(同二六四ページ)との御金言である。

師匠の教えの通り、正義の信念を貫き、行動する。

人間として、これほど崇高な道は絶対にない。したがって、いかなる局面にあろうとも、臆したり、怯んだりしてはならない。

当然、礼儀や常識を弁えることは大前提である。その上で、誰人であれ、へつらうことなく、仏法者として、広宣流布の大闘士として、信念を勇敢に語り切っていけば、よいのだ。それ

が、最も人の心を打つ。

仮に、その時は反発されたとしても、相手の心の奥深くに仏縁が結ばれて、必ず花開く時が来るのだ。



魂の揮毫から30年共戦



正義の旗もつ 君なれば 諸天も諸仏も 勇み護らむ



昭和五十四年、私は神奈川文化会館で認めた。

五月三日には「共戦」。

五月五日には「正義」。

私は若き日より、恩師が「旗持つ若人 何処にか」と歌われたお心に深く呼応して、決然と一人立った。

御書に仰せの通り、大難は、師弟の「共戦」と「正義」の証だ。

正義は、座して宣揚できるものではない。「正」という字義には、「攻めて正す」とある。

「正義」とは、義を正す能動の戦いなのだ。

人生は攻撃精神で勝つ!

広宣流布は正義と語り抜く攻めの対話で勝つ!

強気の攻めの戦いこそ、勝利の絶対的要因だ。

これこそ、わが師・戸田先生が教えてくださった必勝の極意である。

あの日あの時、私はただ一人、反転攻勢への決意を燃え上がらせて、待った。

共に「正義」の旗を掲げ、創価の大光を社会に放ちゆく愛弟子を!

共に「師弟」の誓いを貫き、仏法勝負の勝鬨を轟かせゆく真の同志を!

神奈川には、その愛弟子がいた。真の同志がいた。

私が会長を辞任した後、内外の方々から数え切れぬお手紙を頂戴した。永遠の宝として、大切に保管させていただいている。



いざ出航!人生は攻撃精神で勝つ

神奈川の港から創価の大船は堂々と



神奈川の母から頂戴した、憤激と悔し涙で綴られた手紙も、その一通である。

真心の頼りに、私と妻は即座に返事をお送りした。

ー何卒、強盛な信心で受け止めてください。そして、さらなる信心、炎を燃やして、日本第一のご一家を築き上げてください、と。

ご一家は、その通りに、学会と共に生き抜いた人生がいかに勝ち栄えていくかという実証を、晴れ晴れと示されている。

「生涯にわたりわれ広布を不動の心にて決意あり真実の同志あるを信じつつ」と、私は「共戦」の書の脇書に刻んだ。

その一念に、厳として応えてくれたのは、宿縁深き神奈川の弟子である。

当時、未来部や青年部だった友も、創価のメロスの如く約束を貫き、今、広宣の最前線で指揮を執ってくれているではないか!

まさしく、「共戦」と「正義」に貫かれた三十星霜であった。

そして今、神奈川の天地に「勝利」の大旗が掲げられようとしている。

私の本門の人生は、神奈川家族と苦楽を共に勝ち抜いていく命運にあるのだ。



神奈川の 正義の船出の 凱歌かな