随筆 人間世紀の光 NO.195 「正義」の旗高く!(下) 2009-7-29
神奈川文化会館の前に広がる山下公園には、貨客船・氷川丸が係留されている。
この氷川丸は、昭和五年、横浜の生まれである。
太平洋を約二百五十回往断し、横浜ー北米航路で約一万五千人を運んだ。チャップリンも、氷川丸をこよなく愛した一人である。
ナチスの迫害を逃れて日本に入国し、氷川丸で海を渡ったユダヤ人もいた。
岐阜出身の外交官、杉原千畝氏が発給した〃命のビザ〃に救われた人びとである。
氷川丸は歴戦の風格を湛え、明年、学会と共に八十歳を迎えようとしている。
御聖訓には、「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんぱ・かなふべからず」(御書一四四八ページ)と仰せである。
創価の大船は大難の嵐の海を越えて、民衆の勝利の岸辺へ向かっていくのだ。
大シケの海を航海する時、次々と牙をむいて襲いかかってくる荒波を乗り越えゆく秘訣は、一体、何か。
わが誉れの波涛会の友が毅然と語ってくれた。
それは「逃げないこと」である。
荒波には、船首で波を受けるように立ち向かう。避けようとして、横波を受けてしまうと、かえって危険だというのである。
人生の闘争もまた、同じであるに違いない。
燦々と 旭日昇る 姿こそ 仏の軍勢 我らのことかな
横浜は今、開港百五十周年の賑わいで、街も人も、活気にあふれている。
その原点を築いた先駆の人びとは、誰であったか。
それは、東海道の名高い宿場・保土ケ谷宿から進出してきた「保土ケ谷商人」たちであった。
隣宿の神奈川商人とともに、保土ケ谷商人たちは、横浜発展のために大きな役割を果たした。
百五十年前、村から町となった横浜で、行政組織の責任者(横浜町総年寄)の一人にも、人びとから慕われる保土ケ谷宿の名主が任命されている。
保土ケ谷には、未踏の地を切り開く、先駆の責任と使命が脈打っているのだ。
思えば、あの明治維新の先覚の師・吉田松陰が海外雄飛の志を秘めて、保士ケ谷に宿泊したのは、数え年・二十五歳の時である。
「苦しいこと、困難なことがあるほど大きな仕事をなしとげるには好都合だと思われます」とは、若き松陰の気概であった。
それは、全曲に先駆けてヤング男子部を誕生させた、頼もしき神奈川青年部の不屈の闘魂にも道ずる。
百年前、明治の文豪・森鴎外が、開港五十周年の佳節に寄せて作詞した「横浜市歌」も有名である。
「されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや」
「果なく栄えて行くらん み代を 飾る宝も入りくる港」
横浜は、今なお、世界の憧れの宝の港だ。
皆さまが ありて広布の 大道は いやまし輝き 世界に光りぬ
五月三日には、毎年恒例の大パレード催される。
これには、わが愛する鼓笛隊も出場してきた。
今年も、世界へ広がる横浜の大空に、平和と希望のシンフォニーを鳴り響かせてくれた。神奈川文化会館の前でも、颯爽と演奏行進を繰り広げてくれたのだ。
厳しい練習をやり抜いた鼓笛の乙女のモットーは
「今 師とともに 正義の心で! 創価の師弟の勝利のパレード!」であった。
私と妻は、明るく健気な天使の心を、合掌しつつ胸に刻んだ。
華陽の乙女たちの一途な「正義の心」こそ、師弟勝利の華であり、陽光である。
「軍には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵臆病なり」(同一二一九ページ)
この将軍学の真髄は、武士への御文ではない。一番大変な時に、一番強盛な信心で戦い切った鎌倉の母に贈られた御聖訓である。
まさに神奈川の一門こそ、尊き母たちを中心として、広宣流布の勝ち戦を決定づける仏か全軍の魂なのだ。その象徴の御金言と、私は拝してきた。
「此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたり」(同一一三四ページ)
これまた、神奈川の女性門下への仰せである。
私が対談を進めているアメリカを代表する女性詩人ワイダー博士も、神奈川の母たちとの語らいを宝の思い出とされている。
博士は確信されていた。
「幸福は積極的な戦いから生まれるものである。その戦いがあるからこそ、人間としてこの世で責任を果たすことができるのだ」と。
この幸福スクラムの先頭を走るのが、神奈川の婦人部そして女子部である。
六年前(二○○三年)の十一月十八日、七十三周年の創立記念日を、私は秋晴れの神奈川文化会館で迎えた。ここには、大首都圏の代表も集ってこられた。
静岡は、大聖人の御在世から神奈川と一体である。
千葉は、大聖人が御聖誕された広宣の旭日の天地だ。
山梨は、大聖人が令法久住の後継を薫陶された人材の山河である。
奇しくも、静岡、千葉、山梨、そして神奈川という、蓮祖に有縁の各県が今、絶妙の呼吸で前進している。
大聖人は「悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)と御断言である。私たちは断固として誓い合った。
「勇気」で勝つのだ!
「忍耐」で勝つのだ!
「智慧」で勝つのだ!
そして「信心の団結」で勝つのだ!
いよいよ、創立八十周年の開幕だ。神奈川の青き海原を、正義の勝利の燦たる太陽が光り照らすその時を、私は待つ。世界の同志が、祈り待っている。
神奈川の 偉大な同志を 大聖人 見つめ讃えむ 福勝たしかと
(随時、掲載いたします)
氷川丸の話は郵船OB氷川丸研究会編『氷川丸とその時代』(海文堂出版)、パルハフティク著『日本に来たユダヤ難民』滝川義人訳(原書房)などを参照。
吉田松陰の言葉は川口雅昭著『吉田松陰名語録』(致知出版社)。
「横浜市歌」の歌詞は横浜市のホームページによった。
この氷川丸は、昭和五年、横浜の生まれである。
太平洋を約二百五十回往断し、横浜ー北米航路で約一万五千人を運んだ。チャップリンも、氷川丸をこよなく愛した一人である。
ナチスの迫害を逃れて日本に入国し、氷川丸で海を渡ったユダヤ人もいた。
岐阜出身の外交官、杉原千畝氏が発給した〃命のビザ〃に救われた人びとである。
氷川丸は歴戦の風格を湛え、明年、学会と共に八十歳を迎えようとしている。
御聖訓には、「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんぱ・かなふべからず」(御書一四四八ページ)と仰せである。
創価の大船は大難の嵐の海を越えて、民衆の勝利の岸辺へ向かっていくのだ。
大シケの海を航海する時、次々と牙をむいて襲いかかってくる荒波を乗り越えゆく秘訣は、一体、何か。
わが誉れの波涛会の友が毅然と語ってくれた。
それは「逃げないこと」である。
荒波には、船首で波を受けるように立ち向かう。避けようとして、横波を受けてしまうと、かえって危険だというのである。
人生の闘争もまた、同じであるに違いない。
燦々と 旭日昇る 姿こそ 仏の軍勢 我らのことかな
横浜は今、開港百五十周年の賑わいで、街も人も、活気にあふれている。
その原点を築いた先駆の人びとは、誰であったか。
それは、東海道の名高い宿場・保土ケ谷宿から進出してきた「保土ケ谷商人」たちであった。
隣宿の神奈川商人とともに、保土ケ谷商人たちは、横浜発展のために大きな役割を果たした。
百五十年前、村から町となった横浜で、行政組織の責任者(横浜町総年寄)の一人にも、人びとから慕われる保土ケ谷宿の名主が任命されている。
保土ケ谷には、未踏の地を切り開く、先駆の責任と使命が脈打っているのだ。
思えば、あの明治維新の先覚の師・吉田松陰が海外雄飛の志を秘めて、保士ケ谷に宿泊したのは、数え年・二十五歳の時である。
「苦しいこと、困難なことがあるほど大きな仕事をなしとげるには好都合だと思われます」とは、若き松陰の気概であった。
それは、全曲に先駆けてヤング男子部を誕生させた、頼もしき神奈川青年部の不屈の闘魂にも道ずる。
百年前、明治の文豪・森鴎外が、開港五十周年の佳節に寄せて作詞した「横浜市歌」も有名である。
「されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや」
「果なく栄えて行くらん み代を 飾る宝も入りくる港」
横浜は、今なお、世界の憧れの宝の港だ。
皆さまが ありて広布の 大道は いやまし輝き 世界に光りぬ
五月三日には、毎年恒例の大パレード催される。
これには、わが愛する鼓笛隊も出場してきた。
今年も、世界へ広がる横浜の大空に、平和と希望のシンフォニーを鳴り響かせてくれた。神奈川文化会館の前でも、颯爽と演奏行進を繰り広げてくれたのだ。
厳しい練習をやり抜いた鼓笛の乙女のモットーは
「今 師とともに 正義の心で! 創価の師弟の勝利のパレード!」であった。
私と妻は、明るく健気な天使の心を、合掌しつつ胸に刻んだ。
華陽の乙女たちの一途な「正義の心」こそ、師弟勝利の華であり、陽光である。
「軍には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵臆病なり」(同一二一九ページ)
この将軍学の真髄は、武士への御文ではない。一番大変な時に、一番強盛な信心で戦い切った鎌倉の母に贈られた御聖訓である。
まさに神奈川の一門こそ、尊き母たちを中心として、広宣流布の勝ち戦を決定づける仏か全軍の魂なのだ。その象徴の御金言と、私は拝してきた。
「此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたり」(同一一三四ページ)
これまた、神奈川の女性門下への仰せである。
私が対談を進めているアメリカを代表する女性詩人ワイダー博士も、神奈川の母たちとの語らいを宝の思い出とされている。
博士は確信されていた。
「幸福は積極的な戦いから生まれるものである。その戦いがあるからこそ、人間としてこの世で責任を果たすことができるのだ」と。
この幸福スクラムの先頭を走るのが、神奈川の婦人部そして女子部である。
六年前(二○○三年)の十一月十八日、七十三周年の創立記念日を、私は秋晴れの神奈川文化会館で迎えた。ここには、大首都圏の代表も集ってこられた。
静岡は、大聖人の御在世から神奈川と一体である。
千葉は、大聖人が御聖誕された広宣の旭日の天地だ。
山梨は、大聖人が令法久住の後継を薫陶された人材の山河である。
奇しくも、静岡、千葉、山梨、そして神奈川という、蓮祖に有縁の各県が今、絶妙の呼吸で前進している。
大聖人は「悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)と御断言である。私たちは断固として誓い合った。
「勇気」で勝つのだ!
「忍耐」で勝つのだ!
「智慧」で勝つのだ!
そして「信心の団結」で勝つのだ!
いよいよ、創立八十周年の開幕だ。神奈川の青き海原を、正義の勝利の燦たる太陽が光り照らすその時を、私は待つ。世界の同志が、祈り待っている。
神奈川の 偉大な同志を 大聖人 見つめ讃えむ 福勝たしかと
(随時、掲載いたします)
氷川丸の話は郵船OB氷川丸研究会編『氷川丸とその時代』(海文堂出版)、パルハフティク著『日本に来たユダヤ難民』滝川義人訳(原書房)などを参照。
吉田松陰の言葉は川口雅昭著『吉田松陰名語録』(致知出版社)。
「横浜市歌」の歌詞は横浜市のホームページによった。