小説「新・人間革命」 8月20日 命宝44
山本伸一の言葉を、スペイン語の通訳が伝えると、ウルグアイから来たメンバーの顔に、緊張が走った。
伸一は、さらに、念を押すように言った。
「本気になるんだ。この四人のうち、本物が一人でも残ればいい。
また、学会に何かしてもらおうなどと考えるのではなく、自分たちの力で、ウルグアイに、理想の創価学会を築いていくんです。
皆さんが広宣流布を誓願し、祈り、行動していかなければ、どんなに歳月がたとうが、状況は何も変化しません。私に代わって、ウルグアイの広宣流布を頼みます」
日本語が少しわかる、日系人のユキヒロ・カミツが、「はい!」と元気な声で答えた。
伸一は、傍らにいた日本の幹部に言った。
「この人たちは、必ず将来、大きな役割を担う使命がある。大切な人なんだ。だから私は、あえて厳しく言っておくんです。
若い時に、広宣流布のために、うんと苦労しなければ、力はつかない。
ウルグアイの中心になる人たちを、私は、未来のために育てておきたいのだ。
彼らは今、日本の創価学会を見て、“すごいな。別世界のようだ”と思っているかもしれないが、三十年前は、戸田先生お一人であった。そして、先生と、弟子の私で、壮大な広宣流布の流れを開いたのだ。
その師弟の精神がわかれば、どの国の広宣流布も大きく進む。“一人立つ人間”がいるかどうかだ」
カミツは、その言葉を、生命に刻む思いで聞いた。彼は一九五七年(昭和三十二年)、五歳の時に、家族と共に熊本県からブラジルに渡った。しかし、一家は米作りに失敗し、二年後、ウルグアイに移った。
それから九年が過ぎた時、同じ移住船でブラジルに渡った人が訪ねて来た。学会員であった。仏法の話をするために、わざわざブラジルから来てくれたのである。
人びとの幸福のために、労苦をいとわず、喜び勇んで、どこへでも駆けつける――それが学会精神である。それが創価魂である。
伸一は、さらに、念を押すように言った。
「本気になるんだ。この四人のうち、本物が一人でも残ればいい。
また、学会に何かしてもらおうなどと考えるのではなく、自分たちの力で、ウルグアイに、理想の創価学会を築いていくんです。
皆さんが広宣流布を誓願し、祈り、行動していかなければ、どんなに歳月がたとうが、状況は何も変化しません。私に代わって、ウルグアイの広宣流布を頼みます」
日本語が少しわかる、日系人のユキヒロ・カミツが、「はい!」と元気な声で答えた。
伸一は、傍らにいた日本の幹部に言った。
「この人たちは、必ず将来、大きな役割を担う使命がある。大切な人なんだ。だから私は、あえて厳しく言っておくんです。
若い時に、広宣流布のために、うんと苦労しなければ、力はつかない。
ウルグアイの中心になる人たちを、私は、未来のために育てておきたいのだ。
彼らは今、日本の創価学会を見て、“すごいな。別世界のようだ”と思っているかもしれないが、三十年前は、戸田先生お一人であった。そして、先生と、弟子の私で、壮大な広宣流布の流れを開いたのだ。
その師弟の精神がわかれば、どの国の広宣流布も大きく進む。“一人立つ人間”がいるかどうかだ」
カミツは、その言葉を、生命に刻む思いで聞いた。彼は一九五七年(昭和三十二年)、五歳の時に、家族と共に熊本県からブラジルに渡った。しかし、一家は米作りに失敗し、二年後、ウルグアイに移った。
それから九年が過ぎた時、同じ移住船でブラジルに渡った人が訪ねて来た。学会員であった。仏法の話をするために、わざわざブラジルから来てくれたのである。
人びとの幸福のために、労苦をいとわず、喜び勇んで、どこへでも駆けつける――それが学会精神である。それが創価魂である。