小説「新・人間革命」  9月3日 命宝56

杉村七郎は、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との、公明党の立党精神を、座右の銘にしていた。

 まさに、その通りの生涯であった。

 山本伸一は、杉村が亡くなったという報告を聞くと、すぐに励ましの手紙を送った。また、翌月に岡山で行われた会合に、杉村の一家を招き、激励した。

 杉村には、八人の子どもがいた。当時、成人していたのは二人で、末の子は四歳であった。妻の純子は、家業の食堂を切り盛りして、必死になって子どもを育てた。

 伸一は、いつか、呉に行ったら、なんとしても杉村の家族と会おうと思っていたのだ。

 ――次男と共に控室へ来た杉村純子を見ると、伸一は言った。

 「お元気そうなので安心しました。

 ご主人は、本当に立派な方でした。議員の鑑です。本当の公明党の精神を体現されていた。私は、生涯、忘れません」

 次男が、伸一に報告した。

 「先生! お陰さまで、私は、今年、創価大学に入学いたしました。姉も創大生です」

 伸一は、目を細めて応えた。

 「そうか。創価大学か。よく頑張ったな。お姉さんにもよろしく。

 アルバイトも大変だろうね。でも、頑張り抜くんだ。お父さんも、じっと見ているよ」

 さらに、伸一は、杉村純子に言った。

 「今夜、広島文化会館で勤行会を行いますが、その時に、ご主人の追善をします。来られますか」

 「はい。必ずまいります」

 そして、また、広島文化会館で会うことを約束した。

 伸一は、さらに、呉会館の広間で、勤行会を行ったあとも、一人でも多くの人を励まそうと、握手を交わし続けた。晩秋であったが、伸一の額には汗さえにじんでいた。

 彼の全身から、皆を奮い立たせずにおくものかという、白熱の気迫が放出されていた。その魂の燃焼が人の心を燃え上がらせるのだ。