【第25回】 普賢の英知 2009-8-30
「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」(御事986ページ)大宇宙の全財宝よりも尊い、この一国の命を、広宣流布のために捧げて戦い切る。
これほど崇高な生命の道はない。その功徳は、無量にして永遠です。
仏にも等しい、全国の同志の皆様方の尊き奮闘に、私は妻と共に最敬礼して、強く深く題目を送っております。
絶対に幸福になる仏法です。
全同志が一人ももれなく、健康で無事故で、堂々たる人生の大勝利者になっていただきたい。
これが、私と妻の祈りです。
男子青年部の勇敢なる拡大も、頼もしい限りだ。
女子青年部の朗らかな前進も、本当に美事です。
広布の実践の中で、英知と信念の人材が澎湃と伸びている。
8・31「学生部の日」
あす三十一日は「学生部の日」です。さらに九月九日は「女子学生部の日」です。
昭和三十七年(一九六二年)の八日三十一日、私は学生部の代表に「御義口伝」の講義を開始しました。
万人の幸福と、平和の大建設のための生命の極理を、若き門下が心肝に染めてもらいたい。
その願いを込めて、毎月一回、約五年間、私は全魂の講義を続けました。その間、関西では「百六箇抄」、中部では「諸法実相抄」の講義も行いました。
今回は、この「御義口伝」の御金言を「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」(御書780ページ)
甚深なる御聖訓です。妙法を拝したい。
閻浮提(全世界)に行じゆくことは、普賢菩薩の守護によって成し遂げられるのだ、との御
予言であります。
法華経二十八品の最終章(普賢品)には、この普賢菩薩が妙なる音楽を奏でて、大衆と共に明るく賑やかに登場します。
「普賢」つまり「普く賢い」という名前の如く、宇宙をも包みゆく智慧をもって、一閻浮提への妙法流布を助ける。そして民衆を幸福にしゆく知性の指導者が、この普賢菩薩なのです。
わが学生部には、この「普賢の英知」の力で、広宣流布の和合を厳護し、民衆勝利の時代を貫きゆく十大な使命がある。
学生部の結成に際して、師であられる戸田先生が、「嬉しいね。私がどうしても創りたかった組織だよ」と喜ばれていたお姿が、私の命から離れません。恩師の心を心として、私は、学生部よ、青年部よ、創価の普賢菩薩たれ!と祈り、念じ、薫陶してきました。
ここで、普賢菩薩の特質を三点にわたって述べておきたい。
第一に、普賢とは、行動する「誓願の知性」である。
普賢菩薩自ら、「普賢の威神の力」をもって、滅後に法華経を受持した者を徹して守り抜く
ことを誓っています。
すなわち、いかなる魔性も打ち強って、法華経の行者を厳然と守護すること、そして一閻浮提の広宣流布を絶対に断絶させないことを、師に約束します。
どんなに優秀であっても、自分の名間名利だけを追い求める人生では浅ましい。まして恩を踏みにじるようでは「才能ある畜生]と成り下がってしまう。
学とは、人格の勝利であり、人々を幸福にするためにある。
師匠を持ち、哲学を持ち、学び鍛え、人々のため、社会のために行動し抜いていく。何と意義ある創価の青春でしょうか。
第二に、普賢とは、勇敢なる「正義の知性」である。
師・釈尊は、法華経を持つ者を誹謗する罪報を鋭く挙げられた。仏子を悩ませる悪と戦い、不退転の決意で前進する正義の陣列に連なれ!という教えです。まさに創価学会です。
新世代の智慧で勝て!
正義の和合を断じて護り抜くーその絶対の責任感と勇猛なる力を見えた生命が、普賢なのです。
第三に、普賢とは、誠実なる「人間尊敬の知性」である。
「当起遠迎、当如敬仏」(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)
この奥義を、師・釈尊から譲り託されたのが普賢菩薩です。
日蓮大聖人は、この八文字を「最上第一の相伝」と意義づけられました。広布のために戦う人を仏の如く尊敬し、大切にし、尽くし抜くことです。
自らの才覚や地位に傲り高ぶって、庶民を見下す増上慢とは対極にある生き方です。
真の「知性」とは
真の「知性」とは、単なる知識ではない。「誓願の行動」「正義の連帯」「誠実の振る舞い」lこうした「普賢の生命」を脈動させた、人間としての総合力なのであります。
わが学生部も、わが青年部も、断じて、普遍の知性光るリーダーに育っていただきたい。
それは、学歴などにとらわれない真正の実力であります。
私は十九歳で恩師と出会い、二十代を恩師に仕え抜いた。私の九八パーセントは恩師から教わったものです。二十代に受けた訓練が今の私を形作っています。
戸田先生は私に個人教授をしてくださり、法律や経済・歴史・哲学・科学・天文学など万般の学問を授けてくださった。
「一切の法は皆是れ仏法なり」(御書564ページ)です。
仏法は、あらゆる学識や技術を人間の幸福のために活かし、大いなる価値を創造しゆく究極の智慧であります。だからこそ、学んだ分だけ、努力した分だけ、活用していける。
この「戸田大学」の講義は、火花の散るような魂の触発の連続であった。二十五歳の時、私は日記に綴っています。
「毎朝、冴えた頭で聴講できる自己を築かねばならぬ。負けじ魂。根性。意地」「十年後を、勝負と決めて、戦おう。十年後をみよと、勉強し、頑張ることだ」と。
先生は常々、言われていた。
「大作、勉強、勉強だよ。それは、仏法のことだけではない。社会全般のことはもちろん、全世界の運命のなかに自分というものを置いて、一切の発想をしていくことだよ」
民衆大学の誉れを
私が世界の大学・学術機関から拝受した二百五十を超す名誉学術称号も、「戸田大学」の卒業生としての報恩の栄誉です。
それ自体、法華経に則った平和・文化・教育の運動への共鳴であり、普賢菩薩の守護の証左であると確信しております。
青春の力は無限です。十代、二十代、三十代の青年が本気で立ち上がれば、時代は変わる。
これが、古今東西の歴史の大鉄則だ。
広宣流布は、永遠に智慧の戦です。使命の青春を生きゆく諸君は、労多きことを誉れとし、広布と社会の指導者としての真価を、深く強固に磨き上げてほしいのです。
それが、苦労に苦労を重ねて戦い続けてくれている、皆さん方の偉大な父母の願いである。
私は、昭和四十三年(一九六八年)の九月八日、第十一回学主部総会で「日中国交正常化提言を行った際にも、この「御義口伝」の一節を拝して俊英たちへの期待を語りました。
今、真摯に生命尊厳の大仏法を学び、同志と共に実践する青年こそ、創価の民衆大学の誉れの学徒であると自負していただきたい。
後継の君たちこそ、二十一世紀の普賢菩薩です。普賢菩薩の「威神の力」とは、「信心の力」にほかなりません。
戸田先生は「最も偉大な人とは、結論するに、青年時代の信念と情熱を、生涯、失わない人だ」と明言されました。
それぞれの分野で培った経験や見識も、妙法を根本にすることで生きてくる。そのすべて
が、普賢菩薩の智慧の輝きを放ってくるのです。
尊き創価の父母に最敬礼
法華経の壮大な絵巻の最後に登場するのが、我らの普賢替薩です。御書には、普賢菩薩が遅れてきたことを恐縮しながら、その分、張り切って、真剣に広宣流布に戦う様子が、ほほ笑ましく記されております。
最後に勇んで躍り出る若き人材群が、広宣流布の勝利の決定打を放つのです。
普賢品の正式な題名は「普賢菩薩勧発品第28」。「勧発」とは「勧め発させる」。つまり「励まし」という意義に通じます。大事なのは「励まし」です。
疲れた先輩方を労い、皆を勇気づけ、勝利へ勝利へ前進する。普賢菩薩とは、溌刺たる「励ましの知性」なのです。
男女学生部、ヤング男子部、池田華陽会の健闘にも一致する力用です。
宇宙には、刻々と新しい星が誕生している。世界的天文学者のモウラン博士は言われた。
「自分の一番輝く時を待って、その出番の時にしっかりと輝く。そして、後輩たちが来たら、しっかりと輝かせていく。これが宇宙の方程式です」
さあ、仏法勝負を決しゆく、不思議なる使命を帯びた若き「普賢の金星」たちよ!
勇気と英知の生命を輝かせ、創価の永遠なる常勝の軌道を、賢く朗らかに勝ち進もう!
これほど崇高な生命の道はない。その功徳は、無量にして永遠です。
仏にも等しい、全国の同志の皆様方の尊き奮闘に、私は妻と共に最敬礼して、強く深く題目を送っております。
絶対に幸福になる仏法です。
全同志が一人ももれなく、健康で無事故で、堂々たる人生の大勝利者になっていただきたい。
これが、私と妻の祈りです。
男子青年部の勇敢なる拡大も、頼もしい限りだ。
女子青年部の朗らかな前進も、本当に美事です。
広布の実践の中で、英知と信念の人材が澎湃と伸びている。
8・31「学生部の日」
あす三十一日は「学生部の日」です。さらに九月九日は「女子学生部の日」です。
昭和三十七年(一九六二年)の八日三十一日、私は学生部の代表に「御義口伝」の講義を開始しました。
万人の幸福と、平和の大建設のための生命の極理を、若き門下が心肝に染めてもらいたい。
その願いを込めて、毎月一回、約五年間、私は全魂の講義を続けました。その間、関西では「百六箇抄」、中部では「諸法実相抄」の講義も行いました。
今回は、この「御義口伝」の御金言を「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」(御書780ページ)
甚深なる御聖訓です。妙法を拝したい。
閻浮提(全世界)に行じゆくことは、普賢菩薩の守護によって成し遂げられるのだ、との御
予言であります。
法華経二十八品の最終章(普賢品)には、この普賢菩薩が妙なる音楽を奏でて、大衆と共に明るく賑やかに登場します。
「普賢」つまり「普く賢い」という名前の如く、宇宙をも包みゆく智慧をもって、一閻浮提への妙法流布を助ける。そして民衆を幸福にしゆく知性の指導者が、この普賢菩薩なのです。
わが学生部には、この「普賢の英知」の力で、広宣流布の和合を厳護し、民衆勝利の時代を貫きゆく十大な使命がある。
学生部の結成に際して、師であられる戸田先生が、「嬉しいね。私がどうしても創りたかった組織だよ」と喜ばれていたお姿が、私の命から離れません。恩師の心を心として、私は、学生部よ、青年部よ、創価の普賢菩薩たれ!と祈り、念じ、薫陶してきました。
ここで、普賢菩薩の特質を三点にわたって述べておきたい。
第一に、普賢とは、行動する「誓願の知性」である。
普賢菩薩自ら、「普賢の威神の力」をもって、滅後に法華経を受持した者を徹して守り抜く
ことを誓っています。
すなわち、いかなる魔性も打ち強って、法華経の行者を厳然と守護すること、そして一閻浮提の広宣流布を絶対に断絶させないことを、師に約束します。
どんなに優秀であっても、自分の名間名利だけを追い求める人生では浅ましい。まして恩を踏みにじるようでは「才能ある畜生]と成り下がってしまう。
学とは、人格の勝利であり、人々を幸福にするためにある。
師匠を持ち、哲学を持ち、学び鍛え、人々のため、社会のために行動し抜いていく。何と意義ある創価の青春でしょうか。
第二に、普賢とは、勇敢なる「正義の知性」である。
師・釈尊は、法華経を持つ者を誹謗する罪報を鋭く挙げられた。仏子を悩ませる悪と戦い、不退転の決意で前進する正義の陣列に連なれ!という教えです。まさに創価学会です。
新世代の智慧で勝て!
正義の和合を断じて護り抜くーその絶対の責任感と勇猛なる力を見えた生命が、普賢なのです。
第三に、普賢とは、誠実なる「人間尊敬の知性」である。
「当起遠迎、当如敬仏」(当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)
この奥義を、師・釈尊から譲り託されたのが普賢菩薩です。
日蓮大聖人は、この八文字を「最上第一の相伝」と意義づけられました。広布のために戦う人を仏の如く尊敬し、大切にし、尽くし抜くことです。
自らの才覚や地位に傲り高ぶって、庶民を見下す増上慢とは対極にある生き方です。
真の「知性」とは
真の「知性」とは、単なる知識ではない。「誓願の行動」「正義の連帯」「誠実の振る舞い」lこうした「普賢の生命」を脈動させた、人間としての総合力なのであります。
わが学生部も、わが青年部も、断じて、普遍の知性光るリーダーに育っていただきたい。
それは、学歴などにとらわれない真正の実力であります。
私は十九歳で恩師と出会い、二十代を恩師に仕え抜いた。私の九八パーセントは恩師から教わったものです。二十代に受けた訓練が今の私を形作っています。
戸田先生は私に個人教授をしてくださり、法律や経済・歴史・哲学・科学・天文学など万般の学問を授けてくださった。
「一切の法は皆是れ仏法なり」(御書564ページ)です。
仏法は、あらゆる学識や技術を人間の幸福のために活かし、大いなる価値を創造しゆく究極の智慧であります。だからこそ、学んだ分だけ、努力した分だけ、活用していける。
この「戸田大学」の講義は、火花の散るような魂の触発の連続であった。二十五歳の時、私は日記に綴っています。
「毎朝、冴えた頭で聴講できる自己を築かねばならぬ。負けじ魂。根性。意地」「十年後を、勝負と決めて、戦おう。十年後をみよと、勉強し、頑張ることだ」と。
先生は常々、言われていた。
「大作、勉強、勉強だよ。それは、仏法のことだけではない。社会全般のことはもちろん、全世界の運命のなかに自分というものを置いて、一切の発想をしていくことだよ」
民衆大学の誉れを
私が世界の大学・学術機関から拝受した二百五十を超す名誉学術称号も、「戸田大学」の卒業生としての報恩の栄誉です。
それ自体、法華経に則った平和・文化・教育の運動への共鳴であり、普賢菩薩の守護の証左であると確信しております。
青春の力は無限です。十代、二十代、三十代の青年が本気で立ち上がれば、時代は変わる。
これが、古今東西の歴史の大鉄則だ。
広宣流布は、永遠に智慧の戦です。使命の青春を生きゆく諸君は、労多きことを誉れとし、広布と社会の指導者としての真価を、深く強固に磨き上げてほしいのです。
それが、苦労に苦労を重ねて戦い続けてくれている、皆さん方の偉大な父母の願いである。
私は、昭和四十三年(一九六八年)の九月八日、第十一回学主部総会で「日中国交正常化提言を行った際にも、この「御義口伝」の一節を拝して俊英たちへの期待を語りました。
今、真摯に生命尊厳の大仏法を学び、同志と共に実践する青年こそ、創価の民衆大学の誉れの学徒であると自負していただきたい。
後継の君たちこそ、二十一世紀の普賢菩薩です。普賢菩薩の「威神の力」とは、「信心の力」にほかなりません。
戸田先生は「最も偉大な人とは、結論するに、青年時代の信念と情熱を、生涯、失わない人だ」と明言されました。
それぞれの分野で培った経験や見識も、妙法を根本にすることで生きてくる。そのすべて
が、普賢菩薩の智慧の輝きを放ってくるのです。
尊き創価の父母に最敬礼
法華経の壮大な絵巻の最後に登場するのが、我らの普賢替薩です。御書には、普賢菩薩が遅れてきたことを恐縮しながら、その分、張り切って、真剣に広宣流布に戦う様子が、ほほ笑ましく記されております。
最後に勇んで躍り出る若き人材群が、広宣流布の勝利の決定打を放つのです。
普賢品の正式な題名は「普賢菩薩勧発品第28」。「勧発」とは「勧め発させる」。つまり「励まし」という意義に通じます。大事なのは「励まし」です。
疲れた先輩方を労い、皆を勇気づけ、勝利へ勝利へ前進する。普賢菩薩とは、溌刺たる「励ましの知性」なのです。
男女学生部、ヤング男子部、池田華陽会の健闘にも一致する力用です。
宇宙には、刻々と新しい星が誕生している。世界的天文学者のモウラン博士は言われた。
「自分の一番輝く時を待って、その出番の時にしっかりと輝く。そして、後輩たちが来たら、しっかりと輝かせていく。これが宇宙の方程式です」
さあ、仏法勝負を決しゆく、不思議なる使命を帯びた若き「普賢の金星」たちよ!
勇気と英知の生命を輝かせ、創価の永遠なる常勝の軌道を、賢く朗らかに勝ち進もう!