随筆 人間世紀の光 No.204 友情の道 信頼の城㊤ 2009-9-20

「人の振舞」こそ近隣友好の大道

勇気と確信の対話で「地域の宝」と光れ!



永劫の   大河の流れに     わが生命   無上の使命と      無量の功徳を



19世紀ドイツの思想家ニーチェは力強く歌った。

「大河と偉大な人間とは悠然として曲った道をゆく/曲りながら 然し決してその目標をあやまたぬ」

その通りだ。大河は山々の谷を縫い、緑野を走り、平原を潤しながら、滔々と流れる。

いかなる紆余曲折があろうが、水源からの流れに、数多の支流を豊かに加えつつ、最終目的地の大海は絶対に見失わない。

御聖訓には、「水は昼夜不退に流るるなり少しもやむ事なし」(御書841㌻)と仰せである。

我らの妙法流布の大河には、瞬時の停滞もない。

民衆の平和と幸福の実現という根本目的に向かって、威風堂々と前進する!

これが創価の使命だ。

これが師弟の誓願だ。

        

法華経に登場する「地涌の菩薩」は、「難問答に巧みにして 其の心に畏るる所無く」と説かれる。

人は、ともすれば、他者との交流を「畏れ」、自分から「心の壁」をつくってしまう場合が少なくない。

しかし、地涌の菩薩は、万人の生命に内在する尊極の仏性を、心広々と信じ、一切の壁を勇敢に取り払って対話を広げていくのだ。

創価地涌の友は、まさしく「畏るる所無く」、相手が誰人であれ、語りに語り抜いてきた。

経文通りに、嵐の中、怒濤の中を突き進んできた。

ただ人間の尊厳のため、民衆の幸福のため、世界の平和のために、一心不乱に信念の行動を貫いてきた。

その真実を知るゆえに、世界の多くの友人たちは、何があろうが、変わらざる信頼で共鳴を語り、連帯のエールを送ってくださっている。

その友情に触れるたび、私たちは、いよいよ勇気を強くし、さらなる平和への前進を決意するのだ。

何ものにも揺るがぬ友情と信頼を築こう!

そのためにも、まず自分自身が周囲の人びとの友となり、友の支えとなって、成長していくのだ!

     

太陽の   母は地域に     輝けり



平和は、万人の願いだ。

それは、いずこに求めたらよいのか。

アメリカの女性平和学者エリース・ボールディング博士は、私に言われた。

「平和は、たんに危機に対処するだけではなく、お互いが日常的に助け合うなかにあります。

家庭、そして地域社会こそが、きわめて重要な平和の出発点なのです」

平和は、どこか遠くにあるのではない。実は、私たちの足下から始まるのだ。

博士は、こうも語られた。

「そこで私は、まず隣人たちについて知ろうと思いました。お互いが助け合うためには、どうしても近くに住む人たちをよく知る必要があるからです」

平和の起点は、近隣同士が日常的に助け合い、互いを知り合うことである。

近いが故に難しく、近いが故に見落とされがちなのが、「近所付き合い」だ。

隣人に心を配り、近隣に友好の花園を育みゆく「人の振る舞い」が、いかに尊いことか。

アメリカの鉄鋼王カーネギーは、母を讃えた。スコットランドから移住して、苦労しながら、地域の太陽と輝いていったお母さんであった。

「母はほんとうにいそがしかった。しかし、あらゆることを一手に引受けていながら、近所隣の人たちは彼女が賢明な、また親切な女性であるのを知って、困難な問題に直面するとすぐ相談に来たり、たすけをもとめるのであった」

「近隣の間で、どこへ行っても、母は輝かしい存在であった」

人びとから慕われる、わが創価の母たちと、なんと深く重なり合う姿か!

法華経には「人中《にんちゅう》の宝」と記される。

地涌の菩薩には、人びとを結び“地域の宝”“社会の宝”と光りゆく使命があるのだ。

そこで、そうした“地域友好の達人”だちから寄せられる模範の実践、また私自身の経験を踏まえ、「近隣友好」の三つの心がけを確認し合いたい。

        

近隣友好の心がけ

①地域の安穏と繁栄を祈ろう!

②礼儀正しく 良識豊かに!

③励まし合い 助け合う連帯を!



第一は、まず「地域の『安穏』と『繁栄』を祈ること」だ。

私たちが日々、読誦する法華経寿量品には「我此土安穏」(我が此の土は安穏にして)との経文がある。

今、自らのいる使命の国土を安穏ならしめ、その地域の人びとを守り抜いていくことを、祈り行動する。これが法華経の行者だ。

近年、地域の絆が一段と希薄になっていると、多くの方々が危惧している。

日蓮大聖人は、「立正安国論」で、「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か-」(御書31㌻)と仰せであられる。

「四表」とは、東西南北の四方を指す。自分の周りの地域・社会であり、広くは世界をも包む。ゆえに「四表の静謐」とは、地域の安穏であり、さらには世界の平和といってよい。

“近所の絆”を尊び、近隣の方々の健康と幸福を祈念していくことから、互いの心の扉は開かれる。

地域の繁栄と幸福への深い祈りは、「一身の安堵」──すなわち自身の幸福につながり、わが身に返ってくることは必然の法則だ。

日々、この“立正安国の精神”に直結し、自らの足で地域の大地を踏みしめながら、広宣流布を進めてくれているのが、模範の「無冠の友」の皆様である。



この地域   わたしが守りて      幸の道



かつて「無冠の友」の方々にお贈りした句である。

私も妻も、日本はもとより、尊き全世界の友が住む各国・各地域の安穏を祈らぬ日は、一日としてない。

地元の新宿区をはじめ、渋谷・港・千代田区等の近隣も、時間を見つけては、車で回りながら、題目を送り続けている。

       

二点目は、「礼儀正しく良識豊かに」である。

「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(同1174㌻)との仰せは、信仰者の根幹を示されている。

人間として、自分自身の賢明なる言葉と行動をもって、信頼を築き、友情を広げ、自他共の幸福の花を身近に咲かせていくことだ。

「このたび越してまいりました池田です」

昭和27年の夏、私たち夫婦は、それまで住んだ目黒区三田から、大田区山王の秀山荘に転居した。

「今後ともお世話になりますが、どうかよろしくお願い致します」と、私も名刺を片手に、近隣へのあいさつ回りに歩いた。

そして近隣の方々と顔を合わせるたび、声をかけ、心を通わせた。

私の自宅には、青年部をはじめ、遅くに訪ねて来る同志も少なくなかった。

若いメンバーが大勢なので、注意していても、近隣には騒がしく感じられる場合もあったにちがいない。

そんな時は、翌日、妻が「昨夜はうるさくなかったですか……」と、近所の方にあいさつに伺った。その一声で安心し、理解してくださった。

幼い時から個人会場の家に育った妻は、同志を温かく迎えるとともに、礼儀と誠意を尽くしての近隣友好を心がけていた。

ともあれ、普段から、垣根をつくらず、自然なご近所付き合いをしていくことが大事であろう。

「近隣友好」は、わが地域即寂光土への確かな幸福と和楽の土台となる。

それだけに、座談会など地域の会場を提供してくださる尊き皆様に、改めて心から感謝を申し上げたい。

妙法を弘通する法座である。集い来る友が一生成仏へ前進しゆく道場である。わが地域の繁栄のための立正安国の拠点である。その信心の長者のご家庭の福徳は計り知れない。

皆で最大に感謝し、大切に使わせていただくことだ。会場のご一家や近隣に迷惑をかけぬよう、こまやかな配慮をお願いしたい。



三世まで   おお一族は     栄えなむ   広宣流布に     振る舞う仏と



ニーチェの言葉は「断章」(『ドイツ詩集』所収)山口四郎訳(角川書店)。カーネギーは『鉄鋼王カーネギー自伝』坂西志保訳(角川書店