随筆 人間世紀の光 No.207 ㊤ 2009-10-17
哲学の光 求道の炎
人間主義の真髄を学ぶ誇り
陰徳陽報──労苦は必ず幸福勝利の花に
太陽よ昇れ! 日蓮仏法を人類は渇仰
伝統の教学試験“師弟直結”の行学で勇み立て!
大聖人 我らを見つめて 全世界 三世の果てまで 広布に走れと
それは、1998年(平成10年)の11月29日のことであった。
インドの大哲学者チャンドラ博士の目が光った。
「日蓮大聖人は、人類の将来にとって、実に重要な思想を遺されました」
博士は、あのマハトマ・ガンジーにとっても、大聖人は「師(グル)」の存在であったと言われた。
「末法に入って甘露とは南無妙法蓮華経なり」(御書832㌻)──妙法こそ、大聖人が遺された、人類の苦悩を癒す「甘露」(不死の妙薬)である。
席上、私たちは、御書や法華経を拝しながら、仏法の人間主義が21世紀の平和に果たす、重大な役割を語り合ったのである。
あれから11星霜──。本年の11月29日には、全国で「教学部初級試験」と「青年部教学試験3級」が行われる。
人類の”希望の太陽”であり、“精神の至宝”である日蓮仏法の哲理を、徹底的かつ体系的に研鑽する。その貴重な機会こそ、学会伝統の教学試験である。
チャンドラ博士は、会心の笑みで、「仏法西還」の喜びを語っておられた。
仏教誕生の地インドでは、今や創価のスクラムは3万5千人以上に発展し、本年1月にも約6400人が任用試験に臨んだ。
大聖人が、「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(同588~9㌻)と展望された「仏法西還」は、まさに現実となった。
「今こそ、人類には、平和、人間主義、互恵といった精神的な価値、哲学が必要です。その人類の求めに応じようとしているのが、まさに創価学会、SGI(創価学会インタナショナル)だと思います」
ウクライナを代表する教育者である、国立キエフ工科大学のズグロフスキー総長は語ってくださった。
総長は重ねて、創価の思想への共鳴を強調された。「この『人間主義の仏法』が、将来、人類の基本的な理念となり、すべての人類から受け入れられる教えとなることを確信します」
小さな一宗一派の次元ではない。人類を普く照らす太陽の如く、大聖人直結の創価の大仏法は、世界宗教の大光を放っているのだ。
「メキシコに行った夢を見たよ。皆、待っていてくれた……」
恩師・戸田先生は、ご逝去の直前、そう言われ、眼に浮かぶメキシコの情景を私に伝えてくださった。
そのロマンの地メキシコでも、青年部が「生死一大事血脈抄」を学び合い、教学実力試験を開催するまでに成長している。
多文化の国アメリカでは、3万人が教学の実力テストに挑戦。試験には8言語が使用されている。
さらに、アフリカのザンビアでも、教学試験を定期的に開催しながら、喜々として「宗教の五綱」などを学び合っている。誠に嬉しく、また誇らしいことに、世界中に仏法研鑽の求道の波動が広がっているのだ。
この青春 また この人生を 勝ちゆけや 大聖人の 哲学かざして
「皆、緊張してるだろうね。励ましてあげたいな」
2002年(平成14年)の秋9月、私は、"中級試験"の一会場となっていた創価女子短期大学の教室に向かった。
会場の外では、白蓮グループの乙女たちが凛々しく受付の役員をしていた。
「受験しに来たよ!」
後ろから声をかけると、聡明な乙女は、とっさに笑顔で応じてくれた。
「受験票はお持ちでしょうか」──当意即妙の応答に、明るい笑いが弾けた。
皆、健気であった。真剣であった。前日には、受験会場となる教室の机を、役員の女子部の友が一つ一つ丁寧に拭いてくれていたことも、妻は伺っていた。
教学試験は、信心を錬磨する受験者とともに、試験官や採点者、役員、そして、受験者を支え励ます先輩・同志など、陰で尽力してくださる方々にも、必ず大きな大きな功徳がある。
「陰徳あれば陽報あり」(同1178㌻)である。
教学試験に取り組む全同志が、未来永遠にわたる「幸福勝利」の大哲学者、大教育者、大指導者となりゆく種を蒔いているのだ。
会場の教室は、開始直前の追い込みで静寂そのものであった。
驚かせて申し訳ないと思いつつ、一言、挨拶した。
受験者は、第二総東京の稲城の方々で、ブロック長・ブロック担当員(現在の白ゆり長)をはじめ、第一線のリーダーが多かった。
真剣な研鑽の姿が、神々しかった。学者でも、僧侶でもない庶民が、多事多端の社会生活のなかで、懸命に最極の大仏法を学んでいく。試験の合否を超えて、この求道の炎の姿そのものが、どれほど尊いか。
励ましの思いを込めて、私は受験者に申し上げた。
「どうか自信をもって、試験に臨んでください。教学を学ぶ場に、ここに集ったこと自体が勝利です。歴史です。生涯にわたる、自分自身の大いなる信心の原動力になるのです」
「大事なのは、題目をあげることです。行学の二道に励んだ皆様を、誰よりも大聖人がほめてくださることは間違いありません」
嬉しいことに、皆、元気いっぱい、試験にチャレンジしてくださったようだ。
──この日を契機に、本格的に学会活動に励むようになった若き友がいた。
受験の後、信心の確信を胸に、敢然と重い病を乗り越え、白樺会の一員として人びとに尽くしゆく、偉大な創価の母もおられた。
この時、学んだ「行学の二道」に徹し抜き、不況のなか、社会で信頼を広げる、巌のごとき黄金柱の壮年もいた。
あまりにも尊い。
御書を人生の根本に、社会で実証を示す「実践の教学」こそが、創価の魂だからである。
私は「若き日の日記」に決意を込めて記した。
「いかに幹部たりとも、真剣に勉強せねば、どんどん後輩に抜かれてしまう」
「『行学の二道をはげみ候べし』(御書1361㌻)とは、万人等しくいいわたされた、大聖人の御聖訓である。一人として、別人はなきはずだ」
この求道心を忘れるところに、慢心が忍び寄る。
昭和48年の秋のことだ。教学試験を目前に控え、私は、「教学試験と共に自己の建設」と題して、わが聖教新聞の社説を綴った。
「菊と思索と英知の11月。いよいよ学会伝統の教学試験が行われる」
記者たちが見守る前で、私は、魂を注ぎ込むように民衆に開かれた学会教学の誇りを口述していった。
「……この生命哲学の求道の階層は、幾十万の青年や、学生にも、婦人にも、老齢者にまで広がり、喜々として真剣に研さんしている姿に、心ある人は刮目するに違いない」
教学は、一部の聖職者の特権などでは、断じてない。「皆成仏道」の法華経の極理に照らしても、万人に開かれ、万人が喜び勇んで学べるからこそ、真の民衆仏法の教学なのである。
それは、「価値創造の生活法」として、「人間革命の哲学」として、さらに「絶対勝利の兵法」として、各人の人生に烈々と脈打っていくのだ。
大文豪トルストイが記した箴言に、こうあった。
「正しき思想がないあいだは、正しき行動はあり得ない。正しき思想があるときには、正しき行動は、最早自ら、その思想の中から流れ出て来るであろう」
深く納得できる言葉だ。
7年前、私が訪れた教学試験の会場を辞そうとした時、役員をしていた日野池田総区(現在の新立川総区、多摩池田総区)の白蓮グループの乙女たちが高らかに宣言してくれた。
「先生、折伏を頑張ります!」
その言葉通り、彼女たちは、勇気と誠実の語らいを広げ、後日、日本一の折伏の実践で、弟子の実証を示してくれた。その報告に、妻は涙していた。
御書のまま 拝し動かむ 清らかに 三世の幸の 今日の修行と
戸田先生は、常に教学根本の師匠であられた。
いかなる時も、先生の指導は、御書という泉から滾々と湧き出るのであった。
だからこそ、創価の未来を担う青年部には、厳しく言われた。
「願わくは、諸君は教学に、信心に、自己の鍛錬に、いっそう励んでいただきたい」
「女子部は教学で立ちなさい。そうすれば、どんな問題が起ころうとも、決して紛動されることはない」
私も、青春時代、師のもとで研鑽し抜いた「師弟の教学」が、すべての実践の根幹となっている。
師は、折あるごとに、私に御書を打ち込まれた。
昭和26年の5月、第2代会長に就任なされたばかりの先生が、大確信の講義をしてくださったのが、「佐渡御書」であった。
200回にも及ぶ、有名な戸田先生の一般講義(金曜講義)では、会場となった豊島公会堂の舞台の袖から、拝聴させていただいたことも最高に懐かしい。
体調が優れないなか、先生の御書講義の師子吼に奮い立って、五体に勇気を漲らせた日もある。
師から受けた、大聖人直結の正しい「師弟の教学」があったからこそ、私は、勝利を開くことができた。
教学において、己義ほど恐ろしいものはない。それゆえ、正しき師弟が何よりも大切である。広宣流布の師弟の道を踏み外す邪義の輩に対しては、徹底して破折していかねばならない。
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書1618㌻)と仰せの通りである。
今、私は、師から受けた薫陶を、世界中の創価の友に、一人ももれなく伝え残したい一心である。
「御書と師弟」を綴る時、先生の大確信の音声が鮮やかに蘇る。
「勝利の経典『御書』に学ぶ」を記す時、恩師の慈悲に満ちた一言一言が、深く心に響き渡る。
私は、創立80周年に向けて、これからも、書きに書きまくる決意である。
偉大なる 文化と哲学 胸にもち 幸福道の 君よ先駆と
人間主義の真髄を学ぶ誇り
陰徳陽報──労苦は必ず幸福勝利の花に
太陽よ昇れ! 日蓮仏法を人類は渇仰
伝統の教学試験“師弟直結”の行学で勇み立て!
大聖人 我らを見つめて 全世界 三世の果てまで 広布に走れと
それは、1998年(平成10年)の11月29日のことであった。
インドの大哲学者チャンドラ博士の目が光った。
「日蓮大聖人は、人類の将来にとって、実に重要な思想を遺されました」
博士は、あのマハトマ・ガンジーにとっても、大聖人は「師(グル)」の存在であったと言われた。
「末法に入って甘露とは南無妙法蓮華経なり」(御書832㌻)──妙法こそ、大聖人が遺された、人類の苦悩を癒す「甘露」(不死の妙薬)である。
席上、私たちは、御書や法華経を拝しながら、仏法の人間主義が21世紀の平和に果たす、重大な役割を語り合ったのである。
あれから11星霜──。本年の11月29日には、全国で「教学部初級試験」と「青年部教学試験3級」が行われる。
人類の”希望の太陽”であり、“精神の至宝”である日蓮仏法の哲理を、徹底的かつ体系的に研鑽する。その貴重な機会こそ、学会伝統の教学試験である。
チャンドラ博士は、会心の笑みで、「仏法西還」の喜びを語っておられた。
仏教誕生の地インドでは、今や創価のスクラムは3万5千人以上に発展し、本年1月にも約6400人が任用試験に臨んだ。
大聖人が、「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(同588~9㌻)と展望された「仏法西還」は、まさに現実となった。
「今こそ、人類には、平和、人間主義、互恵といった精神的な価値、哲学が必要です。その人類の求めに応じようとしているのが、まさに創価学会、SGI(創価学会インタナショナル)だと思います」
ウクライナを代表する教育者である、国立キエフ工科大学のズグロフスキー総長は語ってくださった。
総長は重ねて、創価の思想への共鳴を強調された。「この『人間主義の仏法』が、将来、人類の基本的な理念となり、すべての人類から受け入れられる教えとなることを確信します」
小さな一宗一派の次元ではない。人類を普く照らす太陽の如く、大聖人直結の創価の大仏法は、世界宗教の大光を放っているのだ。
「メキシコに行った夢を見たよ。皆、待っていてくれた……」
恩師・戸田先生は、ご逝去の直前、そう言われ、眼に浮かぶメキシコの情景を私に伝えてくださった。
そのロマンの地メキシコでも、青年部が「生死一大事血脈抄」を学び合い、教学実力試験を開催するまでに成長している。
多文化の国アメリカでは、3万人が教学の実力テストに挑戦。試験には8言語が使用されている。
さらに、アフリカのザンビアでも、教学試験を定期的に開催しながら、喜々として「宗教の五綱」などを学び合っている。誠に嬉しく、また誇らしいことに、世界中に仏法研鑽の求道の波動が広がっているのだ。
この青春 また この人生を 勝ちゆけや 大聖人の 哲学かざして
「皆、緊張してるだろうね。励ましてあげたいな」
2002年(平成14年)の秋9月、私は、"中級試験"の一会場となっていた創価女子短期大学の教室に向かった。
会場の外では、白蓮グループの乙女たちが凛々しく受付の役員をしていた。
「受験しに来たよ!」
後ろから声をかけると、聡明な乙女は、とっさに笑顔で応じてくれた。
「受験票はお持ちでしょうか」──当意即妙の応答に、明るい笑いが弾けた。
皆、健気であった。真剣であった。前日には、受験会場となる教室の机を、役員の女子部の友が一つ一つ丁寧に拭いてくれていたことも、妻は伺っていた。
教学試験は、信心を錬磨する受験者とともに、試験官や採点者、役員、そして、受験者を支え励ます先輩・同志など、陰で尽力してくださる方々にも、必ず大きな大きな功徳がある。
「陰徳あれば陽報あり」(同1178㌻)である。
教学試験に取り組む全同志が、未来永遠にわたる「幸福勝利」の大哲学者、大教育者、大指導者となりゆく種を蒔いているのだ。
会場の教室は、開始直前の追い込みで静寂そのものであった。
驚かせて申し訳ないと思いつつ、一言、挨拶した。
受験者は、第二総東京の稲城の方々で、ブロック長・ブロック担当員(現在の白ゆり長)をはじめ、第一線のリーダーが多かった。
真剣な研鑽の姿が、神々しかった。学者でも、僧侶でもない庶民が、多事多端の社会生活のなかで、懸命に最極の大仏法を学んでいく。試験の合否を超えて、この求道の炎の姿そのものが、どれほど尊いか。
励ましの思いを込めて、私は受験者に申し上げた。
「どうか自信をもって、試験に臨んでください。教学を学ぶ場に、ここに集ったこと自体が勝利です。歴史です。生涯にわたる、自分自身の大いなる信心の原動力になるのです」
「大事なのは、題目をあげることです。行学の二道に励んだ皆様を、誰よりも大聖人がほめてくださることは間違いありません」
嬉しいことに、皆、元気いっぱい、試験にチャレンジしてくださったようだ。
──この日を契機に、本格的に学会活動に励むようになった若き友がいた。
受験の後、信心の確信を胸に、敢然と重い病を乗り越え、白樺会の一員として人びとに尽くしゆく、偉大な創価の母もおられた。
この時、学んだ「行学の二道」に徹し抜き、不況のなか、社会で信頼を広げる、巌のごとき黄金柱の壮年もいた。
あまりにも尊い。
御書を人生の根本に、社会で実証を示す「実践の教学」こそが、創価の魂だからである。
私は「若き日の日記」に決意を込めて記した。
「いかに幹部たりとも、真剣に勉強せねば、どんどん後輩に抜かれてしまう」
「『行学の二道をはげみ候べし』(御書1361㌻)とは、万人等しくいいわたされた、大聖人の御聖訓である。一人として、別人はなきはずだ」
この求道心を忘れるところに、慢心が忍び寄る。
昭和48年の秋のことだ。教学試験を目前に控え、私は、「教学試験と共に自己の建設」と題して、わが聖教新聞の社説を綴った。
「菊と思索と英知の11月。いよいよ学会伝統の教学試験が行われる」
記者たちが見守る前で、私は、魂を注ぎ込むように民衆に開かれた学会教学の誇りを口述していった。
「……この生命哲学の求道の階層は、幾十万の青年や、学生にも、婦人にも、老齢者にまで広がり、喜々として真剣に研さんしている姿に、心ある人は刮目するに違いない」
教学は、一部の聖職者の特権などでは、断じてない。「皆成仏道」の法華経の極理に照らしても、万人に開かれ、万人が喜び勇んで学べるからこそ、真の民衆仏法の教学なのである。
それは、「価値創造の生活法」として、「人間革命の哲学」として、さらに「絶対勝利の兵法」として、各人の人生に烈々と脈打っていくのだ。
大文豪トルストイが記した箴言に、こうあった。
「正しき思想がないあいだは、正しき行動はあり得ない。正しき思想があるときには、正しき行動は、最早自ら、その思想の中から流れ出て来るであろう」
深く納得できる言葉だ。
7年前、私が訪れた教学試験の会場を辞そうとした時、役員をしていた日野池田総区(現在の新立川総区、多摩池田総区)の白蓮グループの乙女たちが高らかに宣言してくれた。
「先生、折伏を頑張ります!」
その言葉通り、彼女たちは、勇気と誠実の語らいを広げ、後日、日本一の折伏の実践で、弟子の実証を示してくれた。その報告に、妻は涙していた。
御書のまま 拝し動かむ 清らかに 三世の幸の 今日の修行と
戸田先生は、常に教学根本の師匠であられた。
いかなる時も、先生の指導は、御書という泉から滾々と湧き出るのであった。
だからこそ、創価の未来を担う青年部には、厳しく言われた。
「願わくは、諸君は教学に、信心に、自己の鍛錬に、いっそう励んでいただきたい」
「女子部は教学で立ちなさい。そうすれば、どんな問題が起ころうとも、決して紛動されることはない」
私も、青春時代、師のもとで研鑽し抜いた「師弟の教学」が、すべての実践の根幹となっている。
師は、折あるごとに、私に御書を打ち込まれた。
昭和26年の5月、第2代会長に就任なされたばかりの先生が、大確信の講義をしてくださったのが、「佐渡御書」であった。
200回にも及ぶ、有名な戸田先生の一般講義(金曜講義)では、会場となった豊島公会堂の舞台の袖から、拝聴させていただいたことも最高に懐かしい。
体調が優れないなか、先生の御書講義の師子吼に奮い立って、五体に勇気を漲らせた日もある。
師から受けた、大聖人直結の正しい「師弟の教学」があったからこそ、私は、勝利を開くことができた。
教学において、己義ほど恐ろしいものはない。それゆえ、正しき師弟が何よりも大切である。広宣流布の師弟の道を踏み外す邪義の輩に対しては、徹底して破折していかねばならない。
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」(御書1618㌻)と仰せの通りである。
今、私は、師から受けた薫陶を、世界中の創価の友に、一人ももれなく伝え残したい一心である。
「御書と師弟」を綴る時、先生の大確信の音声が鮮やかに蘇る。
「勝利の経典『御書』に学ぶ」を記す時、恩師の慈悲に満ちた一言一言が、深く心に響き渡る。
私は、創立80周年に向けて、これからも、書きに書きまくる決意である。
偉大なる 文化と哲学 胸にもち 幸福道の 君よ先駆と