随筆 人間世紀の光 No.210 ㊤ 崇高なる信心の継承 2009-11-6

青年を伸ばせ 青年が立ち上がれ
わが多宝会よ! 堂々と仏法証明の勝鬨

 後継の  若き指導者  育ちけり  世紀の舞台に 踊り立ちたり

 「青春とは、すばらしいものだ。つねに私を鼓舞してくれる源泉である」
 中国・四川省成都に誕生された文豪・巴金先生の言葉である。私も、4度の出会いの
劇を重ねた。
 青年をこよなく愛し、信ずる指導者であられた。
 「我々には清い純白な心がある。激しく燃える切なる願いがある。腹に満々とたぎる血
潮がある。そして眼にはこぼれんばかりの同情の涙がある。我々は青年なのだ」とも綴ら
れた。
 この11月の1日、巴金先生の故郷である成都から、西南交通大学の先生方をお迎えし、
青年部の大会、そして全国の学生部総会が意気軒昂に行われた。
 巴金先生がおられれば、どれほど喜んでくださったかと、私の胸は高鳴る。
 会場の東京牧口記念会館には、輝く生命の高等部、中等部の笑顔も弾けていた。
 この日は、地元の第2総東京の各地域でも、未来部総会が元気に開催された。どの会場
でも、新たに誕生した愛唱歌「平和の太陽」が力強く歌われた。

 自分が変われば 未来も変わる 未来を変えゆく  平和の太陽

 「平和の太陽」を育んでおられる未来部の担当者の方々に、私と妻は、いつも感謝の題
目を送っている。
        
 今この時、希望の未来部も、英知の学生部も、師子の男子部も、華陽の女子部も、新体
制で出発した。
 11・5「男子部の日」、11・12「女子部の日」が光る今月は、後継の若き友の姿が、いや
ましてまぶしい。
 学会創立80周年へ、我らは生まれ変わった勢いで前進を開始したのだ!
 スコットランドの国民詩人バーンズは喝破した。
 「たとい損と苦難とは、/真に辛い教訓であろうとも、/其処にこそ智慧があり、其処
でこそ得られる、/他処には何処にもない」
 青年時代に悩み、望んで苦労するのだ。その分だけ、人を大切にでき、自らを誇れる境
涯が開ける。
 忘恩の背信者は必ず滅び、正義の人を迫害する輩には厳然と鉄槌が下る。
 真実は、歴史が必ず証明するのだ。
 その正邪の勝負の決定打を放つのは青年だ。いな、青年しかいない。
 君たちの団結と勇気で、勝利への不滅の青春を飾りゆくのだ!
        
 この一生  広宣流布に  捧げたる  尊き その名は  多宝なるかな

 7月、サンフランシスコの芸術の殿堂「ハーブスト劇場」で、アメリカSGI(創価
会インタナショナル)の多宝会の総会が行われた。サンフランシスコは、私が海外指導で
真っ先に訪れた地の一つである。

人生の“金の舞台《ゴールデン・ステージ》”

 参加者の多くは、アメリカ広布の草創を築いたパイオニアの方々であった。
 準備に携わったメンバーには、80代の友もおり、片道2時間の距離を通いながら、総会
の大成功に尽力してくださったという。
 アメリカでは、多宝会を「ゴールデン・ステージ・グループ」と呼ぶ。“金の舞台”──
何と誉れ高き響きであろうか。
 信心に引退はない。第三の人生とは、「一生成仏」の信心の総仕上げの時期だ。ゆえに、
荘厳な夕陽に照らされた全山紅葉の勝利山の如く、最も輝く黄金の晴れ舞台となるのであ
る。
 多宝会の総会に出席した全米のリンダ・ジョンソン婦人部長は、万感を込めて参加者に
呼びかけた。
 「アメリカの大英雄の皆様!」
 私たち夫婦も、全く同じ真情である。
 病苦も経済苦も、非難中傷も勝ち越え、慈折広布の大道を切り開いてこられた多宝会の
友こそ、最も尊貴な魂の王者、女王である。
 総会を終えると、皆、口々に誓い合ったという。
 「人生の最後の一瞬まで、広宣流布に戦い抜こうじゃないか!」
 私は、その心意気が嬉しかった。誇りに思った。心から最敬礼して、合掌を捧げた。
 あの「大阪の戦い」をはじめ、私と共に勝利の金字塔を打ち立てた歴戦の勇者の皆様も、
今や70代、80代だ。本年も元気に、美事に活躍してくださった。
 共に広布に戦った同志は、永遠に私の胸から離れない。君も私も、人生のゴールデン・
ステージを、常楽我浄の妙法と共に、朗らかに勝ち進んでゆこう!
        
 「多宝」とは、法華経の宝塔品に説かれる「多宝如来」に由来する。釈尊法華経を説
く会座に、宝塔とともに出現し、「皆な是れ真実なり」と宣言する法華経大証明者であら
れる。
 多宝会の皆様方は、経文通りの悪口罵詈等をはね返して、仏道修行を貫き、堂々と勝利
の実証を打ち立ててこられた。
 その人生の黄金の足跡それ自体が、学会の正義の証明であるといってよい。そして、不
老長寿の生命をもって、妙法の偉大さを、次の世代へ伝えゆく、大切な令法久住の大使命
を担い立っておられるのだ。
 「宝寿会(東京)」「錦宝会(関西)」という名前にも、尊き「宝」の同志を讃える、あま
りにも深き意義が込められている。

若い人に心を注げ
 私がこれまで対談を重ねてきた皆様も、私より高齢の方々、学会でいう多宝会の世代が
多かった。
 皆、若々しい心の持ち主であられた。生きる喜びにあふれていた。それは、自らの使命
を強く深く自覚されていたからに違いない。
 なかでも忘れ得ぬ一人が、生涯を核兵器廃絶の推進に捧げられた、パグウォッシュ会議
名誉会長のロートブラット博士である。
 「これまでの世界より、ずっと良い世界を築いていけるよう、若い人々を、私たちの持
てるすべてを注いで育んでいかねばなりません」と博士は言われた。
 このやむにやまれぬ大情熱から、博士は若い科学者の集まりである「スチューデント・
ヤング・パグウォッシュ」を結成された。
 博士を敬慕する彼らは、後の研究プロジェクトにロートブラット博士の名を冠すること
を決定した。
 未来を語る博士の顔は真剣であった。輝いていた。
 未来は、青年に託す以外にない。青年を伸ばし、育てるのだ!──この信念と誓願に生
きる最晩年の姿は、何ものにも増して美しかった。
        
 師弟不二  親子一体  最高の 人生勝ち抜く  広布城かな

 思えば、日蓮大聖人をお護りした門下の中核の一家は、信心の継承においても模範の存
在であった。
 「破邪顕正」の行動も、「一家和楽」が力となる。
 青年門下・南条時光の母である上野尼御前は、夫や最愛の末子の死など幾多の難や悲し
みに遭った。
 だが、師匠であられる大聖人の励ましを希望の源泉とし、立派に妙法広布の母として生
き抜いていったのである。
 この母に続いて、時光も純真な信心を貫いた。蓮祖の御入滅に至るまで、母と共にお仕
え申し上げた。のみならず、不二の弟子・日興上人を真っ直ぐにお護り申し上げたのであ
る。
 「水のごとくと申すは・いつも・たい(退)せず信ずるなり、此れはいかなる時も・つ
ねは・たいせずとわせ給えば水のごとく信ぜさせ給へるか たう(尊)とし・たうとし」(御
書1544㌻)
 大聖人が時光に与えられた真心の御手紙である。
 他にも阿仏房・千日尼夫婦とその子・藤九郎守綱など、親子一体で信心の道を貫いた求
道の門下を、大聖人は心から讃嘆された。

後継の君ありて 広宣流布は永遠
世々代々 若々しく 創価家族の座談会へ!

断固して わが人生を 勝ちまくれ 父母思い 同志を思いて

 先祖をも  また子孫まで  末代に  大福運の  妙法受持かな

 ここで、家庭における「信心の継承」について、幾つか確認しておきたい。
 まず、親は子に「やりなさい」と押しつけるのではなく、「一緒に信心を実践していく」
ことである。
 親の背中を見ながら、子は育ち、信心という「志」を受け継いでいくからだ。
 我が家でも、できる限り、家族で一緒に勤行をすることを大切にしてきた。私が留守の
時は、妻が導師で子どもたちが唱和した。
 時には子どもが朝寝坊をして、勤行できずに学校に出かけたこともある。そんな時、妻
は叱るのではなく、「しっかり祈っておくから、大丈夫よ!」と、笑顔で気持ちよく送り出
すことを心がけた。
 妻はまた、「会合は教育の場」と常々語っていた。これは、草創の個人会場の家に育ち、
牧口先生を我が家での座談会にお迎えした妻の大確信であった。
 会合に参加すること自体が、偉大な仏縁を結んでいるのだ。気づかぬうちに、子の生命
の大地には信心の種が芽生えている。
 お子さんを連れて会合に参加する婦人部、ヤング・ミセスの方々の奮闘には、妻も私も、
いつも頭が下がる思いである。
 その姿は、幼子を連れて佐渡の日蓮大聖人の元へ馳せ参じたと伝えられる日妙聖人の如
く、健気で美しい。
 そして、親はどこまでも、子どもの可能性を信じていくべきだ。祈り続けていけばよい。
たとえ今は発心していなくとも、立派な「広宣流布の闘士」へ成長する時は、必ず来るか
らだ。
 偉大な妙法である。信仰は一生涯のものであり、三世永遠である。大切なのは、信心を
持《たも》ち抜くことである。大らかな気概に立って、長い目で子どもの成長を祈り抜く
ことだ。
 信心継承の美事な模範として、忘れられないご家族がある。東京・調布総区の功労者の
ご一家だ。
 邪宗門の卑劣な裏切りに真っ先に声を張り上げた、正義の一家でもある。
 私も、30年前(昭和54年)の9月15日──当時の「敬老の日」に訪問し、懇談させて
いただいた。
 今、お子さん、お孫さん、ひ孫さんまで、皆が信心を立派にされている。
 今年の9月にも、丁重なお便りとアルバムを頂戴し、世々代々のご一家がそろってのお
元気な様子を嬉しく拝見した。
        
 久遠より  家族か 同志か  妙法と  諸天に護られ  この世 愉快に

 創立80周年へ、学会は大座談会運動を開始した。
 家庭の絆が「タテ」であれば、地区を舞台とする学会活動は「ヨコ」の継承である。