小説「新・人間革命」 8月3日 敢闘52
九州総合研修所での行事を終え、東京に戻った山本伸一は、八月二十八日には、神奈川の県民ホールで、「二十一世紀への船出」をテーマに行われた、’76神奈川県文化祭に出席した。
壮年部が、広宣流布の一切の責任を担い立てば、皆が安心できる。婦人も、青年も、力を出し切ることができる。壮年部が、社会建設の全面に躍り出てこそ、立正安国の幕は開くのだ。
彼は、この「四条金吾」の舞に、「壮年部の時代」の到来を感じたのである。
伸一は、九州総合研修所で、埼玉の青年に、「新生・埼玉の勝利の扉を開く文化祭に」と励ました。その青年たちが、自分の思いを、いかに受け止め、どんな文化祭にしてくれるのか、楽しみで仕方なかった。
埼玉県文化祭は、まさしく、「勝利の扉を開く」決意が、いかんなく発揮されていた。特に、「共戦太鼓」と題する男子部の演目に、それが象徴的に表れていたのである。
交差した長さ八メートルのハシゴに挟まれた、三組の太鼓が舞台に現れる。それを、別のハシゴに乗った三人の青年が、力強く叩き始める。
彼らのハシゴは、リズムに合わせて、右に左に揺れる。そのなかで、勇壮に、連打が続く。玉の汗が光る。
やがて、ハシゴは次々と組み替えられ、最後は、扇状の布に書かれた、墨痕鮮やかな「共戦」の文字が広がる。圧巻であった。