小説「新・人間革命」 8月3日 敢闘52

九州総合研修所での行事を終え、東京に戻った山本伸一は、八月二十八日には、神奈川の県民ホールで、「二十一世紀への船出」をテーマに行われた、76神奈川県文化祭に出席した。
 どの演目も、すばらしかった。なかでも、日蓮大聖人と生死を共にせんとした四条金吾の姿を通して、師弟不二の道を進む心意気を表現した、壮年部員七十二人による創作舞踊「四条金吾」に、伸一は感銘を覚えた。
 壮年部が、広宣流布の一切の責任を担い立てば、皆が安心できる。婦人も、青年も、力を出し切ることができる。壮年部が、社会建設の全面に躍り出てこそ、立正安国の幕は開くのだ。
彼は、この「四条金吾」の舞に、「壮年部の時代」の到来を感じたのである。
 翌二十九日には、「ロワール埼玉に常勝の詩」をテーマに掲げ、埼玉・大宮市民会館で開催された、76埼玉県文化祭に出席した。
 伸一は、九州総合研修所で、埼玉の青年に、「新生・埼玉の勝利の扉を開く文化祭に」と励ました。その青年たちが、自分の思いを、いかに受け止め、どんな文化祭にしてくれるのか、楽しみで仕方なかった。
 埼玉県文化祭は、まさしく、「勝利の扉を開く」決意が、いかんなく発揮されていた。特に、「共戦太鼓」と題する男子部の演目に、それが象徴的に表れていたのである。
 交差した長さ八メートルのハシゴに挟まれた、三組の太鼓が舞台に現れる。それを、別のハシゴに乗った三人の青年が、力強く叩き始める。
彼らのハシゴは、リズムに合わせて、右に左に揺れる。そのなかで、勇壮に、連打が続く。玉の汗が光る。
 やがて、ハシゴは次々と組み替えられ、最後は、扇状の布に書かれた、墨痕鮮やかな「共戦」の文字が広がる。圧巻であった。
 なんと、この演目は、本番の四日前に、迫力のあるものにしようと、一から企画を練り直し、つくり変えたものだ。なんとしても大成功させよう!という、執念の闘魂が切り開いた、勝利の敢闘劇であった。