【第17回】 恩師の故郷は我が故郷 北陸 10年 5月12日

信心も人生も強気でいけ!
 
 会場に入ると、左右に置かれた巨大な壁画が目に飛び込んできた。
 左手には富山の五箇山の山村。右手には石川の兼六園が描かれている。それぞれ、高さ7メートル、横幅20メートルの堂々たる作品だ。
 「すごいね。見事だ」と池田名誉会長。
 それは12万個の緑、黄、赤の造花からなるモザイク。皆が祈りを込めた一輪一輪は、彩り豊かな郷土の春を表現していた。
 1974年(昭和49年)4月28日、金沢市石川県産業展示館で行われた北陸広布20周年記念総会。
 最前列には、杜若や花菖蒲の花壇も。名誉会長の来訪を喜ぶ友の心が会場中にあふれていた。
 歓迎の花束を受けた名誉会長。会場の友を呼び寄せ、「お元気で! お幸せに!」と手渡した。
 この日は「立宗の日」。750年余り前、日蓮大聖人が万人救済の大闘争を開始した日である。
 席上、名誉会長は信仰の根幹である「本尊」について論じた。大聖人は、一切の根本である「本尊」を弘めた。それは生命それ自体である。即ち、最も尊いのは人間自身なのだと。
 そして強く語った。
 「人間、何事かを成し遂げようとするならば、気合よく体当たりしていく態度というものが、非常に必要ではないかと思います」
 信心は強気でいけ! 人生は強気でいけ!――北陸生まれの恩師・戸田第2代会長の叫びが、名誉会長の言葉に重なっていた。
 参加者は語っている。
 「目の覚める思いでした。心が広く穏やかな一方、積極性に欠ける北陸人の限界の壁を大きく打ち破ってくださいました」
 また、名誉会長は「日本海文化圏」の視点から、北陸が日本海内海とする新たな交流の舞台となる可能性に言及。北陸の天地から、北東アジアの平和と繁栄を展望した。
 翌5月、名誉会長は中国を初訪問。9月には初めてソ連(当時)を訪れ、国家間の反目や対立を、対話の力によって融和していく。
 五箇山の険しい山道を車で1時間、ようやく開けた場所に出た。
 百数十年の風雪を刻んだ合掌造りの家々。あの壁画に描かれた風景だ。
 「貴重だね。優雅だね。夢のようだ」と言いつつ、玄関に向かう名誉会長。
 香峯子夫人は「まるで故郷に戻ってきたようですね」と微笑んだ。
 84年(同59年)8月25日。同志が大切に保存・管理してきた利賀村の富山研修道場である。訪れる人々は多く、村おこしに重要な役割を担っていた。
 道場に入り、囲炉裏を囲んで懇談。名誉会長は、さらに恒常的な青年研修を提案した。
 30年以上にわたり、研修道場の管理者を務めた有山大三さん・照子さん夫妻。師の熱き人材育成の魂を、胸に深く刻んだ。
 この前日――名誉会長は恩師の故郷の青年たちを、我がふるさとの弟妹のごとく慈しみ、語った。
 「戸田先生は、青年の力を信じてくださった。私を軸として広宣流布を託せる青年を育て、あとは楽しく生きたいと語っておられた。そして、その通りになった。戸田先生の確信に間違いはなかった」
 「一切は青年で決まる。逃避も諦めも悲観も乗り越えて、地道に懸命に伸び伸びと生き抜くことだ」
 同26日に開かれた第1回北陸平和文化祭。青年部、未来部の自信満々の演技がひときわ光っていた。
 観賞したある新聞人は、「この会場に満ちあふれていた力強さ、たくましさこそが、平和実現に必要なんだと実感しました」と噛みしめるように語った。
 それから四半世紀。
 若き友は、北陸広布の堂々たる中核に成長した。世界が見つめる誓願の闘争は、もう始まっている。