【第3回】 生命尊厳の響き ㊦  2010-10-9

ハンコック アフリカ系アメリカ人は、奴隷制によって、身にまとった装飾品こそ、はぎ取られましたが、その心臓部は切り取られませんでした。これは、特筆すべきことです。そこからブルース、ゴスペルが生まれ、さらにジャズが生まれていきました。
 そして、このアフリカ系アメリカ人の経験から生まれたジャズは、すぐに白人によっても演奏され始めたのです。これはつまり、ジャズとは、人間の生命を詩的に表現する音楽であるということです。どんな苦難をも詩的に表現してしまう人間の精神力。ジャズのリズムは、あらゆる人間の心を揺さぶるリズムなのです。
ショーター そういう意味では、ジャズ発生のプロセスは、すでに奴隷制が現れる以前からあったのではないでしょうか。一民族の言語を奪うなど、あらゆる時代にあらゆる「奴隷化」がありました。
 私は、映画「ジュラシック・パーク」の「あらゆる生命は必ず生きる道を見出す」というセリフを思い起こします。どんな奴隷化に晒されようとも、創造のプロセスは、必ず別の表現の方法を見つけ出すものです。
池田 その通りです。それこそが、挑戦と応戦、また試練と成長、そして苦難と創造という、深遠にしてダイナミックな生命の法則です。
 生命は、安閑とした順境で飛躍するものではありません。個人であれ、団体であれ、民族であれ、文明であれ、極限の圧迫を耐え抜き、はね返していく戦いのなかで、真の生命の躍進が成し遂げられる。逆境に立ち向かい、苦難を乗り越えた負けじ魂には、誇り高き勝鬨が轟きます。その象徴の魂の讃歌が、ジャズではないでしょうか。
ショーター 先生がメニューイン氏と語り合われたように、奴隷であったアフリカ系アメリカ人たちもまた、リズムに合わせて拍子を取り、それを暗号にして、互いにニュースや出来事を知らせ合いました。
 とりわけ緊急時には、農場で働く仲間同士で暗号を送り、連絡を取り合いました。ダンスをしたり、娯楽に打ち興じたりしている時でも、彼らの間では、奴隷主たちが気づかないうちに、合図が送られていたのです。
 そうした技術が洗練されて、芸術的な技巧を生み出していきました。
 たとえば、タップ(軽い叩き)は複雑なドラムの技巧を生み出しました。また、教会で歌われるゴスペルの音律や構造に改訂が加えられ、やがて、教会を離れて一般の人々の間に浸透し、新しい音楽の一部となりました。
 アフリカ系アメリカ人のミュージシャンたちは、自分たちにも音楽の才能があることに気づきました。彼らは歌手となって歌い、楽器を手にとって演奏し、音符を書いて作曲をしました。そしてジャズが生まれたのです。
        ?
池田 万人の心を打つジャズの即興性や独特のリズムは、まさに、戦って戦って戦い抜いてきた無名の英雄たちからの宝の贈り物ですね。
 日蓮大聖人は、命に及ぶ竜の口の法難の頸の座にあって、お供した愛弟子の四条金吾に、「これほどの悦びをば・わらへかし」(御書914㌻)と悠然と仰せになられました。
 何ものにも負けない。絶望しない。一切を変毒為薬しながら、歓喜の中の大歓喜の生命の讃歌を謳い上げていく。これが仏法の真髄です。
 ともあれ大切なのは、何があろうとも、心が善の方向へ、太陽の方向へ向かっていることです。希望の調べ、勇気の曲を奏でながら、前へ前へと進んでいくことです。その人こそ、偉大な精神の王者です。
 そして、人々の心を善の方向へ、太陽の方向へと向けていくことが、私たちの戦いです。
 半世紀前のアメリカの人権闘争においても、歌が人々の心に、勝利への太陽を昇らせました。「ウィ・シャル・オーバーカム(我らは勝利する)」も、その一曲ですね。公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスさんをアメリ創価大学にお迎えした際には、皆で大合唱して歓迎しました(1993年1月)。
ハンコック ジャズ・ミュージシャンのなかには、公民権運動で活動した人も多くいます。また、公民権運動の心を謳い上げた曲も数多くあります。例えば、チャールズ・ミンガスは、「フォーバス知事の寓話」という曲を作曲しました。
ショーター 黒人女性歌手のビリー・ホリデイが歌った「奇妙な果実」もあります。あの有名な一節「ポプラの木に吊されている奇妙な果実」は、人々の記憶に残りました。
ハンコック これは、黒人へのむごいリンチを歌った歌です。
 私自身も「ザ・プリズナー(囚われ人)」という曲を作曲しました。この曲名には公民権運動で囚われた人たち人間の生命が虜にされることという二重の意味を込めました。
池田 1969年、すなわち公民権運動の大指導者キング博士が暗殺の悲劇に遭われた翌年に発表された作品だそうですね。
 私も若き日、大阪で無実の罪で投獄されました。一切の矢面に立って恩師をお守りするとともに、人間の生命を虜にする権力の魔性との断固たる戦いを、獄中で決意しました。
 キング博士の葬儀で、ハンコックさんが演奏されているジャズの名曲が流れたことも、忘れ得ぬ歴史です。
ハンコック 公民権運動には、数多くのジャズ・ミュージシャンが、さまざまな形でメッセージを送っています。人種差別への抗議をあからさまに描いた作品もあります。差別なき未来への希望を描いた曲もあります。
 この運動への人々の励ましや支援を心から願い、それを表現した曲もあります。
 こうして、いわゆる公民権運動時代には、多種多様なジャズ音楽が生まれました。1960年代のジャズは、誰の心にも深い印象を残しています。
 私自身、演奏家としての道を進みながら、同時に公民権運動に進むべきかどうかを、思い悩みました。事実、各種の行進に参加した音楽家も数多くいます。けれども、私は演奏活動があまりにも多忙であったために、行進には参加できなかったのです。しかし、心はいつもそこにありました。
 実は最近、キング博士の盟友であったビンセント・ハーディング博士から著作を頂きました。博士も先生と対談されていますが、私たちのジャズ鼎談が開始されることを知り、大切な著作を贈ってくれたのです。先生との対談が結ぶ魂の交流に、感動を覚えます。
池田 ハーディング博士は、「公民権運動」を「民主主義を拡大する運動」との名称で呼びたいと主張されていました。その運動は、世代から世代へと受け継ぎ、拡大していくべきものだからです。
 また、ハーディング博士は、歌が人々に与える「励ましの力」が、いかに大きいかを語っておられました。
 「人々は、しばしば大変危険な状況にあって『私は恐れない』と歌いました。彼らは、『恐れていない』と歌っていたのではありません。実際、しばしば恐怖に身を震わせていたからです。しかし、彼らは『恐怖心に征服されない』『我々は克服しなければならない。恐怖に我々を止めさせはしない』と歌っていたのです」 「多くの人々にとって、歌なしには、運動で遭遇した多くの困難を耐え抜くことはできなかったでしょう」と。
 まさに今も変わらぬ心で、人々に勇気と希望を贈る二人の音楽活動こそ、この魂を継承する「民主主義の行進」であると確信しています。
ショーター ありがとうございます。以前、韓国のラジオ局からインタビューを受けた折、若いアナウンサーが驚いていました。「あなたは50年も世界中でジャズを演奏しています。さらに続けることは、肉体的に可能でしょうか」と(笑い)。
 私は答えました。「どこへでも行きますよ。人々の心にインスピレーションを与える使命があるかぎり、そして、私の生命の続くかぎり」と。
 これが、池田先生の弟子である私とハービーの魂です。
        ?
池田 嬉しいですね。
 黒人文化を宣揚した大詩人ジェイムズ・ウェルドン・ジョンソンが1900年、戸田先生の生誕の年に発表した詩が、私は大好きです。
 「ことごとくの声をあげてうたえ
 天地が鳴りひびくまで
 自由の旋律にあわせて
       鳴りひびくまで」
 「生まれたばかりの
      新しいわれらの日の
 昇る太陽に顔をむけ
 勝利をこの手にするまで
       行進し続けよう」
 すべての人間が等しく尊厳を謳歌していく「生命の世紀」に向かって、共々に前進していきましょう! 自由の旋律を轟かせて! 
 
 
メニューインの言葉は『人間と音楽』別宮貞徳監訳(日本放送出版協会)。J・W・ジョンソンは『世界詩人選集4』嶋岡晨・松田忠徳訳(飯塚書店)。
 
(注)ソジャーナ・トゥルース(1797~1883年) 奴隷の子として生まれ、奴隷制廃止と女性解放に戦った黒人女性。ソジャーナは「自由への旅人」、トゥルースとは「真実」の意。火星のロボット探査車に、その名がつけられている。