【第6回1】 生命の歓喜の目覚め<中> 2010年 11月27日

池田 含蓄深い言葉です。仏法には「境智の二法」という法門があります。敷衍して申し上げれば、「境」とは外にある一切の対象、「智」とは対象の本質を照らし出す人間自身の智慧です。この「境」と「智」が一体になると説くのです。それを、今のお話に即して言えば、サックスが「境」、そのサックスから妙なる音色を紡ぎ出すショーターさんの心は「智」です。ショーターさんの磨き上げた心が、サックスという楽器の深遠な泉と融合し、尽きることのない音を流れ通わせているともいえるでしょう。
 
ハンコック ウェインのサックスからは、時にはフレンチ・ホルンの音、チェロの音、バイオリンの音が聞こえ、時にはオーケストラ全体の音が聞こえます。しかし、最も肝心なことは、聴き手は、そこにウェインの心を聴くのです。感じるのです。私は、これが究極の楽器演奏だと思います。そこでは、楽器が、演奏者と、楽器から生まれる表現とを切り離すことはなく、すべてが渾然一体になっているのです。
 
池田 「心を聴く」とは、いい表現です。聴衆もまた、演奏者の心の深さを聴き取りながら、心を深めていくことができます。中国の古典(礼記)にも「楽は徳の華なり」と記され、壮麗なる音楽の響きに、偉大な人間性の開花を見出していました。
 
ショーター その通りだと思います。ジャズの演奏で難しいのは「創造的」「独創的」であることと、単純なストーリーを、多種多彩な形で表現することです。そのために、私たちは、ジャズを通して、音楽表現の法則をさまざまなレベルで理解していくことができます。そして、私たちは、人生の法則の本質とは何かを、より強く肌身で感ずることができるのです。モダンジャズの演奏は、より「人間的」になるための努力でもあります。
モダンジャズ創始者の一人であるチャーリー・パーカーが、サックスを演奏するのを聴いた時、皆がびっくりしました。その音色は、まるで、多くの小鳥が自由を求めて鳥かごを打ち破り、大空へ飛び立つような音だったのです。彼のニックネームは「バード(鳥)」でした。
 
池田 妙法の音律の力を鳥に譬えられた御書の一節を思い起こします。
 「譬えば籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」(557ページ)
妙法の音声は、自分自身の内なる尊極の生命を解き放つとともに、宇宙に遍在するあらゆる善性を解き放っていく響きです。
民衆が互いに生命を高め合いながら、生きる喜びの連帯を現実の社会に広げていくのが、広宣流布の文化運動です。妙法の音楽家には、その陣頭に躍り出て、生命尊厳の妙音を奏でていく偉大な使命があるのです。
お二人は、その模範を堂々と示されています。
 
ハンコック ありがとうございます。師匠から、このような評価の言葉をいただくと、何よりも勇気づけられます。私たちは、生命の尊厳を守る文化活動に、世界の芸術部の同志と共に尽力していきます。
すべては「一人」から始まる
ハンコック氏 信ずるものを表現するのが芸術
ショーター氏 祈りとは自分の慢心との戦い!
 
池田SGI会長 ブラジルの著名なピアニストで、青年部の音楽指導にも当たってくださっているアマラウ・ビエイラ氏との語らいを思い起こします。ピアノ教育においては、指の器用さなど「技量面の向上」とともに、弾く人の「精神面の成長」こそ重要であると強調されていました。
また「ド」から「シ」の七つの音階について、「一つ一つ上がっていく音階。それは、あたかも一人の人間が、さまざまな体験を経ながら人生の坂を上っていく姿を思わせます」と語られていました。
ハンコックさんが奏でるピアノも、限られた鍵盤から、自由自在に、妙なるメロディーが生まれ、不可思議な生命の律動が響きわたります。まさに、音楽とは「生命の語らい」ともいえますね。
 
ハービー・ハンコック ピアノ固有の特徴をあげれば、まさにピアノは、オーケストラを一つの楽器にしたようなものだということです。ピアノは、人間の両手の十本の指で八十八の鍵を叩き、さまざまな音や和音を出します。ピアノを弾く時、機械的な仕組みを通じて弾き手の個性が表現されるのは、驚嘆すべきことです。
 
池田 ところで、これは多くの読者の質問なので、うかがいたい。今でも舞台に立つ時に、緊張して、あがるようなことはありますか(笑い)。
 
ハンコック 今では、本番で緊張することはありません。自分のベストを尽くそうという気持ちの方が、強いのです。ニューヨークのカーネギーホールリンカーンセンター、ロサンゼルスのハリウッドボウルやディズニーホールといった、アメリカを代表する大会場で演奏する時は、ベストを尽くす気持ちが、さらに強くなります。昔のようには緊張しません。自分の演奏に確信をもち、ミスを恐れなくなっています。
 
池田 自分を信頼して、恐れを乗り越えていく。ありのままの自分で飾らず、前へ前へと勇敢に進んでいく――人生万般に通じる生き方です。それは、見えないところでの不断の努力があってこそでしょう。
 
ハンコック たとえ楽器を使って演奏していても、私は、ミュージシャンである前に、「人間」であることを忘れないようにしています。私が、楽器を手にして聴衆の前に出る時、目の前にいるのは「人間」であり、自分自身も「人間」なのです。ミュージシャンとしてではなく、一人の「人間」として聴衆に接するべきなのです。
 この仏法に巡り合うまでは、そうは考えませんでした。あるがままの一人の人間としての自分を表現することよりも、一人のミュージシャンとして、「どんな演奏をするか」ということばかりに、心が向いていたのです。
 今はこう思います。演奏者が心にかけるのは、ただ一つ、「ジャズが真に伝えるべきものは何か、自分が心から信じるものを、どう表現するか」だけである、と。
 ジャズが、真に伝えるべきものは、音楽そのものに関することではなく、「人間の精神」に関することなのです。
 
ウェイン・ショーター 同感です。私はステージに上がる前の準備として、勤行をするようにしています。そして、いつも自分に言い聞かせます。「何事も感謝を忘れて、当たり前だと思ってはならない」「こうして勤行ができるのも当然と思ってはいけない」「聴衆がいるのは当然だなどと思ってはならない」「これからやるのは、単なる音楽演奏ではない。コンサート以上のことをするのだ」と。
 偉大なジャズドラマーで、バンドリーダーだったアート・ブレイキーは語っていました。「たった一人でも座席にいたら、決してステージを立ち去ってはならない。たった一人しかいないのだから、とびっきりリラックスして、その一人を心に思い描いて、自分にとって、これが、その一人のための最後の瞬間と思って演奏するのだ」