【第6回2】 生命の歓喜の目覚め<下> 2010-11-28

池田 学会精神も同じです。どこまでも「一人のために」です。それが、仏法の人間主義の真髄です。
戸田先生は、「一対一の膝詰め談判によって、広宣流布は成し遂げられる」と宣言し、一対一の対話、そして少人数の座談会を最重視されました。人が集まらなくても、「いいよ、いいよ。しんみりやろうよ」と笑われながら、その場の一人一人とじっくり語り合われた。すべては「一人」の人間革命から始まるからです。その一人から一人へと、生命の歓喜の目覚めが広がり、拡大の波動は広がっていったのです。
 釈尊が悟りを開いた後に行った初めての説法は、旧友五人への数日間に及ぶ対話であったと伝えられます。法華経方便品では、舎利弗に「汝が為めに説くべし」と告げています。仏法では、仏が法を説く相手である「対告衆」も、極めて重要な存在です。
 
ハンコック 音楽のコンサートでも、聴衆が重要な役割を演じています。聴衆と演奏者に分け隔てはありません。演奏会場にいる人全員が同じ経験を共有し、誰もが同じ感動を経験するのです。
 私たちが演奏を終え、ステージから立ち去ろうとすると、聴衆の誰かが、「君たちの演奏は素晴らしかった!」と讃えてくれることがあります。私が「あなた方も素晴らしいのですよ」と言うと、聴衆は一様に「いや、我々は何もしていないよ」と答えるのです。
 仏法者として、また演奏家として、演奏に対する私の価値観が変わったことに気づきました。演奏は、私だけのため、つまり、自らの喜びや自分の意気を高めるためだけにするのではない、と考え始めました。演奏は確かに楽しいし、意気を高めてもくれる。だが、聴衆それぞれが自分自身の素晴らしさに気づくために演奏することの方が、私にとって、より重要だと思えるようになりました。
そんなある日、コンサートの後に、楽団員の一人が、「化粧室でこんな会話を耳にしたよ」と言ってきました。二人の男がやって来て、「今夜の演奏は凄かったね」「ああ、自分がすっかり生まれ変わったような気持ちだよ」と話し合っていたというのです。それを聞いて私は、まさに「勝った!」と思いました。そのために私は祈っているのですから。
 
ショーター 私も、ハービーと同じように、聴衆に一種の目覚めをもたらす演奏であるように願っています。ステージでは、いつも、聴衆が人間としての目覚めを生み出す触発となる演奏を目指しています。
 
池田 高邁な心に感動しました。
仏がこの世に出現したのは、なぜか。法華経では、「衆生に仏の智慧を開かせるため」と説かれています。
仏法は万人に開かれた民衆宗教です。わが心にも、人々の心にも尊極の仏の生命が具わっている。このことに目覚め、皆を幸福にするために大地から躍り出るのが、地涌の菩薩です。
私は、この大いなる人間の目覚めを、こう歌いました。
 
 地よりか涌きたる 我なれば 我なれば この世で果たさん 使命あり
 
 この「人間革命」の誉れ高き歓喜の舞を、さらに楽しく賑やかに広げていきましょう!