【第7回1】 真剣勝負が最高峰の証し<上> 2010-12-18

ショーター氏 偉大な演奏は挑戦と忍耐から
 
池田SGI会長 「完全なるものへ、あるが上にも完全へ」――創価の父・牧口常三郎先生の励ましです。
牧口先生ご自身が、弾圧の獄中にあっても、カントの哲学を精読され、最後の最後まで探究を続けておられた。
創価」とは無限の向上です。いついかなる状況にあっても、そこから偉大な価値の創造へ、たゆまず前進し抜いていく生命の息吹です。
 
ハービー・ハンコック はい。私たち音楽家も、皆、すべての演奏が自己の最高の演奏であることを望みます。それは、決して終わりのない追求です。
 
池田 芸術の道は、果てなき挑戦と創造の連続です。
有名であろうがなかろうが、人気が出ようが出まいが、真剣に鍛錬し抜いて、その道を歩み通した人は、魂の勝利者です。世の毀誉褒貶を超えて、天の喝采に包まれゆく人生です。
日本でも、世界各国でも、多くの若き芸術家たちが、苦難に挑みながら、精進を続けています。そこで、真摯に芸術を志す青年に代わって伺いたい。
「良い演奏」「偉大な演奏」とは、どういうものか。そうした演奏を生み出す条件とは、いったい何でしょうか。
 
ウェイン・ショーター たくさんの要素がつまったご質問です。先生の問いは、私が今までしたこともない方法で、自問や内省――それは、どのようにして今の自分があり、なぜそのように考える自分がいるのかについての思索――を促してくださいます。
時に、ステージでアーティストが偉大な演奏をすることがあります。それは、たくさんのレッスンや練習、経験の賜物であると思われています。
ただ、私が今、強く感じているのは、以前にも増して、音楽を奏でていない日常生活においてさえ、独自に解釈すべき何か特別な素材が与えられているということです。
ですから毎日の日常生活において、貴重な一瞬一瞬をどう挑戦しているか――これに尽きると思います。池田先生が常々、語られているように、「長く持続的な忍耐」の結果として、偉大な演奏は成し遂げられるのです。
 
池田 見事な答えをいただきました。芸術と人生の真髄を突いてくださった。
 「一瞬一瞬の挑戦」そして「長く持続的な忍耐」――あらゆる偉業を成し遂げる要諦が、ここにあります。安逸の生命からは、偉大な光は生まれません。
仏法の極理では、「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書790ページ)と説かれます。
仏といっても、現実からかけ離れた存在ではありません。法のため、人々のため、まさに一瞬一瞬、わが一念に億劫の辛労を尽くして精進していく。その生命にこそ、仏の力も、仏の智慧も、仏の振る舞いも脈動するのです。
 
ショーター 深く納得できます。
私にとって、作曲は大きな闘争です。今、私自身、単に音楽や芸術としての楽曲ではなく、人生そのものに匹敵する作曲に挑んでいます。
作曲の戦いは、人生におけるさまざまな障害を克服する私の戦いと同時進行です。私にとっての音楽は、感傷や美しさを求めるだけのものではありません――それは、私の葛藤と勝利、難関への抵抗と克服の物語です。芸術家としての私の使命は、音楽だけでなく、あらゆるところで創造しゆく存在になることです。
それは、すなわち、「妙法」つまり「生命の不可思議」を探究することに等しいものです。
 
池田 歴史を振り返っても、偉大な創造は、恵まれた環境より、苦難との激闘から生まれる場合が多い。
楽聖ベートーベンは、聴覚を失うという、あまりに厳しい苦悩を突き抜けて、人類に歓喜を贈りゆく数多の名曲を生み出しました。
ショーターさん、ハンコックさんの音楽も、幾多の試練を勇敢に勝ち越えてこられた生命の勝利の響きです。
「最高度の芸術は人間性の全体を要求する」(芦津丈夫訳「芸術論」、『ゲーテ全集13』所収、潮出版社)とのゲーテの卓見が思い起こされます。
ここで、二人の心に残るご自身の演奏について、お聞かせください。
 
ハンコック そうですね。演奏旅行に出ると、何夜にもわたって公演するのですが、その中でも特に傑出した演奏が幾つか生まれます。特に忘れられないのは、ウェインと二人で出した「ワン・プラス・ワン」というアルバムの楽曲を演奏した時のことです。
 
わが道を歩み通した人が勝利者
ハンコック氏 真の芸術家の探究に終わりはない
 
ショーター あの時の演奏旅行では、シカゴやブエノスアイレスなどを訪れました。私たちは毎晩、違う聴衆を前に演奏の「対話」をしたね。
こうしてステージで楽器を通しての対話をするように、私は演奏者と現実の生活上の事柄でも対話を重ねています。より個性的、より人間らしくなること――これが、ジャズというものが、実際に目指すものです。
 
ハンコック あるステージで、私は完全な自由を感じました。無限のエネルギーが湧き出て、それが、ウェインと彼の演奏に私をしっかり結びつけているかのようでした。まるで二台のロケットのように飛び立ち(笑い)、どんどん音楽が作り上げられました。それが、まさにその時の実感であり、「完璧な対話」のようでした。私が何を演奏し、その後にウェインが何を奏でても、すべての音の間で、すべてが完璧に合致していました。
私が「完璧」というのは、すべての音が明確かつ正確に奏でられるという意味ではありません。ジャズの醍醐味は、ミュージシャンが提供し得る最高の高みへと至る過程にあり、それを聴衆も感じるのです。
音楽を演奏していく中で、あるエネルギーのレベルに達し、そこで、瞬間をとらえ、人々と結びつき、そして音楽家同士の結合の深さが生まれるように思える時があります。これは、音楽家が持つことのできる最も充足感のある体験です。
私は、それを、池田先生のご執筆やピアノ演奏、写真作品に深く感じます。このような創造の喜びは、仏法では、どう説明できるのでしょうか?
 
池田 難しい質問ですね(笑い)。私自身は素人で、同志に喜んでもらえればという一心で、ピアノにも取り組んできただけです。写真も、執務の合間や移動の折々など、限られた時間の中で、一瞬の自然との出あいをカメラに収めてきたものです。
ですから、答えになるか、わかりませんが、若き日、恩師の事業の苦境を打開するために奔走する中で、命に刻みつけた御金言があります。
「我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経歓喜の中の大歓喜なり」(同788ページ)と。
たとえ絶体絶命の窮地に立たされようとも、わが心には、尊極なる仏の生命が厳然と具わっています。この生命の太陽を輝かせていく大歓喜は、何ものにも奪われません。
それは、ハンコックさんが言われるように、大宇宙の最高のエネルギーの次元と合致して、自他共に智慧と慈悲を力強く広げていける境涯です。
ショーターさんは、偉大な演奏の源に「長く持続的な忍耐」を見出されました。尊き使命を果たしゆくために、あえて苦難に立ち向かい、生きて生きて生き抜いて、戦って戦って戦い抜く。その中で、湧き起こってくる智慧があります。宇宙の本源的なリズムに則って、尽きることのない価値創造の喜びが込み上げてくるのです。
 
ショーター それこそ、池田先生が教えてくださった「法華経智慧」ですね。一人の人間が、自らの生命力の強さを自覚した時、そこから出てくる智慧です。毎日の生活の困難から逃げないで戦う智慧であり、一時的な出来事によって惑わされない智慧です。きらびやかさや、誘惑、高飛車な態度、大小さまざまな、いじめの世界にも、ぐらつかない智慧です。
さらにまた、ある対立があった時に、暴力を行使するのではなく、対話で解決するべきだと、互いの生命を目覚めさせていく智慧です。
今、私が知らない間にも、仏法を実践している百九十二カ国・地域の人々から、こうした智慧が生き生きと現れ出ているに違いありません。
 
池田 その通りですね。
智慧は、戦う勇気から生まれる。
智慧は、友を思う慈悲から生まれる。
智慧は、不屈の忍耐から生まれる。
それは、現実の大地を踏みしめて、一日また一日、真剣勝負で生き切る中で、磨かれ、鍛えられていくものでしょう。