【第7回2】 真剣勝負が最高峰の証し<下> 2010-12-20

師弟は不可能を可能に!
 
 池田SGI会長 偉大な文化には、必ずといってよいほど師弟の系譜があります。日本の古典芸能である能や邦楽、落語なども、師匠のもとで厳しい訓練を受け切って、芸を磨き上げていく――そうした伝統が脈打っています。
 あの大音楽家メニューイン氏も、師への深い感謝と畏敬を込めて、行動や存在そのものも含めたすべてにわたって「並みはずれたスタイルがありました」と語っておられました。(ダニエルズ編、和田旦訳『出会いへの旅』みすず書房
 師弟にこそ、人間と芸術の最も美しい結合が光ります。
 ハービー・ハンコック 音楽の師といえば、私は、希有のトランペット奏者であるマイルス・デイビスを挙げなければなりません。
 マイルスと過ごした日々は、特別な機会の連続でした。
 ウェイン・ショーター 私も十五歳の時、ラジオでマイルス・デイビスチャーリー・パーカーと演奏をしているのを聴き、いつか、このマイルスと一緒に演奏できるようにと準備をし始めました。そして二十九歳になる時、彼と共演し、バンドに加わったのです。その時、ハービーはすでに、マイルスのバンドの一員でした。
 
 池田 ハンコックさんが、マイルス・デイビスさんのバンドへと加わったのは、いつ、何歳の時でしたか? その時の思い出を聞かせてください。
 
 ハンコック 一九六二年、二十二歳の時で、大学を卒業したばかりでした。楽団に入るためのオーディションは、マイルスの自宅で行われました。それは、いささか不思議な経験だったのです。
 実際にマイルスが一緒にいたのは、ほんの五分か十分程度でした。トランペットでいくつかのメロディーを吹いた後、彼はすぐ階上の別室へ上がって行きました。代わりの人が私たちの面倒を見てくれて、これを演奏せよ、あれを演奏せよ、と指示したのです。
 そして三日目、ようやくマイルスが下りてきて、少し演奏するや、「オーケー、あすスタジオで会おう」と言うのです。「あなたの楽団に入れるのですか?」と尋ねると、彼は「君はレコーディングをするのだよ!」と答え、ちょっと微笑んだのです。私は間違いなく、彼のバンドの一員になりました。というのは、私たちは、レコーディングが終わるとすぐ、一緒に演奏旅行に出かけたからです。
 ずっと後年になって、彼が三日間、姿を現さなかった理由を知りました。実は彼は、別室のインターホンで演奏を聴いていました。もし自分がその場にいたら、私たちが硬くなって、思い通りに力量を発揮できないだろう――そう思って陰から見守り、伸び伸びと演奏させたのです。
 このことがわかったのは、マイルスが亡くなる少し前、パリで一緒に演奏していた時のことでした。
 
 池田 美しいエピソードですね。
 師匠の心の深さは、弟子が一生をかけて迫っていくものかもしれません。私は十九歳で戸田先生にお会いしました。初対面でしたが、じつは先生は、事前に地域の方から私のことをよく聞いて、知ってくださっていたのです。今、その師の心が深くわかります。
 先生が逝去された後、日本の首相と挨拶を交わした時には、「あなたのことは、戸田会長からよく伺っております」と丁重に迎えていただきました。弟子のため、人知れず要所要所に、的確な手を打ってくださっていました。ありがたい先生でした。
 
 ショーター それは、私たちが池田先生に対して抱いている思いです。
 私が、所属したバンドのリーダーだった、マイルス・デイビスアート・ブレイキーの二人から受け取った最も素晴らしいことは、不可能だと思われていたことでも、現実に達成することが可能であることを学んだことでした。
 マイルスと一緒に仕事をするようになって、演奏スタイルは「爆発的な瞬間」へと移っていきました。まさに、演奏中に、私たちが存在すると思わなかったものが「本当に存在するのだ」と、単なる感情の次元ではなく生命の次元で悟るような瞬間でした。それは、つかみどころがないもので、全身全霊でとらえなければなりませんでした。マイルスと演奏することは、何か極めてユニークな新しいものの始まりのようでした。
 
音楽の師マイルス・デイビス氏の薫陶
ショーター氏 毎日が生命の新しい始まり
ハンコック氏 共演する全員が高められる
 
 池田 「不可能を可能にする」――これが師弟の力です。自分一人では越えられない壁も、師匠と弟子が一体になることで打ち破れる。その巨大な力が生まれるのです。
 アメリカ・ルネサンスの哲人エマソンも語りました。
 「人生で最も必要なものは、自らの可能性を引き出してくれる存在です」と。
 
 ハンコック マイルスと一緒にいると、音楽家としての私たち一人一人の演奏力のレベルがグーンと上がるのです。演奏しているのが、ウェインだろうが、私だろうが、何もかもが高められていきました。
 全体が、それを構成している部分の合計以上のものになる――マイルスと共に演奏することの素晴らしさを、私は時にそう表現しています。
 
 池田 それこそ「団結の妙」です。「和の力」です。
 御書にも「異体同心なれば万事を成し」(1463ページ)と仰せです。
 お二人は、アメリカ芸術部の友と一緒に、これまでも幾度となく素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。あらためて、心から感謝申し上げます。
 とくに、お二人をはじめ演奏者同士の呼吸の妙は息をのむほど見事です。個々は自由自在に奏でていながら、それでいて絶妙な調和があり、秩序がある。
 自己への強い自信とともに、互いへの固い信頼が伝わってきます。
 音楽は、人間を最大に輝かせ、人間と人間を最強に結びつける――この偉大な力を実感します。
 
 ショーター 池田先生が、私たちの演奏をそこまで深く聴いてくださっているとは、本当に驚きです。先生は、まさに青年の精神で、ジャズを理解してくださっています。
 先生は、こうした対談を、さまざまな異なる立場の方々と続けてこられました。先生は、開かれた対話を通して、人間は皆、本質的に平等であるということを世界に宣言されています。
 人々の生活の中で、いまだに存在する多くの人為的な境界線を、先生の勇気は貫通してこられたのです。
 池田 仏法は「一閻浮提」であり、「末法万年尽未来際」です。いよいよ大きく広く、青年たちの道を開いていきたいと思っています。お二人と共に! 同志と共に!
 
 ハンコック ありがとうございます。
 人間のもつ精神の強さを信じ、誰もがこの仏法の信仰を始めた時に起こる、生命の覚醒や変革を深く信じて疑わない人生を、私たちは生きていきたいと思います。
 仏法は、人類が、将来に直面する最も困難な課題をも乗り切れるということを、確実なものにしてくれる――そう強く確信します。
 
 池田 そうです。歴史学者のトインビー博士とも語り合った展望です。
 ところで、ハンコックさんにとって、マイルス・デイビスさんに出会う前に学んだジャズの先生は、どなたでしたか。
 
 ハンコック 聞いてくださって、嬉しいです。私を見出してくれたのは、トランペット奏者のドナルド・バードです。本当に重要なたくさんのことを教えてくれ、面倒を見てくれました。
 彼と一緒にいた時に、私たちが演奏した曲目の一つに「チェロキー」という曲がありました。大変に速いテンポで演奏され、私は、速い弾き方を知らなかったので、それを演奏できませんでした。
 最初のステージが終わった後、ドナルドは、彼自身が他のピアニストから教えてもらった、速く弾く学習法について、私に話してくれました。
 「君が速く弾けない理由は、そんなに速く自分が弾いたことを一度も聴いたことがないので、自分はできないと思っているからだ」「一度、速く弾いている自分を聴けば、速く弾くことができるようになるよ」と。
 それは、速さについて「学ぶ」というより、自分が速く弾くのを「聴く」やり方でした。その通りに練習しました。次の夜、その「チェロキー」を、バンドは速く演奏しました。私も、速く弾くことができたのです。
 
 池田 巧みな指導法ですね。
 戸田先生も、青年を信じて、まず、やらせてみました。
 御書には、「人がものを教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることによって回り、船を水に浮かべて行きやすくするように教えるのである」(1574ページ、通解)と示されています。
 師弟の魂の交流には、困難を乗り越える勇気と智慧が漲ります。そこに偉大な創造の源泉があります。
 
 ショーター 師を広い意味でとらえれば、私には、ピアニストのアート・テイタムや、ショパンドビュッシー、ストラビンスキーなど、尊敬する音楽家がたくさんおります。そして、彼らからの影響を実現化する過程は、今も進行中です。例えばモーツァルトを聴く時、「彼は、その時、どんな人生を生きていたのだろうか」と考えるのです。
 
 池田 なるほど。ジャズのみならず、クラシックを含めた幅広い音楽家を師と仰ぎ、学ばれてきたのですね。心に師を持つ人は謙虚です。偉大な師という目標を持つ人に、限界はない。
 私は今でも、毎日、胸中の戸田先生と対話しながら生きています。
 「戸田先生なら、どうされるか」と常に思いを致しながら決断し、行動してきました。ゆえに迷いません。
 
 ハンコック 私は、師匠と弟子が目指すものは同じでなければならないと理解しています。師匠の夢は、弟子の夢でなければならず、両者が目指すものが違ってはならない。これは、とても重要なことです。師匠と弟子が別の夢を持ってしまえば、それは、もはや正しい師弟関係ではありません。
 ジャズにおけるマイルスとの師弟の関係は、今も続いています。私は、彼の生命を背負って生きていると感じるのです。
 私は、池田先生が戸田先生のことを語られる時、同じ思いでおられると感じます。つまり戸田先生の命は、池田先生の中では、決して断絶することはないでしょう。それは継続的な永遠のつながりです。
 
 池田 マイルス・デイビスさんの自叙伝には、お互いに影響を与え合う関係から、素晴らしい音楽が生まれるとの一節がありますね。「教え、教えられながら、もっとずっと先に進んでいくんだ」(マイルス・デイビス、クインシー・トループ著、中山康樹訳『マイルス・デイビス自叙伝II』宝島社文庫)と。師弟や同志の間に麗しい心が流れ通う時、前途は限りなく洋々と開かれるのです。
 仏法では、「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」(御書900ページ)と明かされています。
 師弟とは、弟子を自分以上の人材にと願う師匠と、何としても応えようとする弟子という相互の真剣の一念から生まれる生命の紐帯です。
 法華経には「在在諸仏土常与師倶生」と、仏法の師弟の永遠性が説かれています。
 師弟の旅は永遠です。師弟の誓願を果たしゆく挑戦も、永遠に続きます。いよいよ若々しく、魂を燃え上がらせながら!