小説「新・人間革命」 厳護 25 1月8日

山本伸一は、女子部の「白蓮グループ」とも、何回も、カメラに納まった。
 「白蓮グループ」の淵源は、一九五七年(昭和三十二年)五月、女子部幹部会などの諸行事の運営・整理を任務として発足した、
女子部の整理班にある。これは、青年部の室長であった伸一が提案してつくったもので、実地教育を通して、人材育成を図ろうとの趣旨でスタートしたのだ。
 翌五八年(同三十三年)三月、戸田城聖の念願であった大講堂が、総本山に落成し、記念の登山会が始まった時、この整理班のメンバーなどから、「女子部も何かのお役に立ちたい」との声が起こった。
 広宣流布のために、自発的に勇んで戦いを起こしていくのが、地涌の菩薩の精神であり、そこに、歓喜の大生命が脈動する。
 伸一は、法のため、仏子のために、自ら働きたいという女子部員の気持ちが、ありがたく、嬉しかった。そして、皆と話し合い、総本山の清掃や案内などの任務を担当してもらうことにしたのである。
 彼が会長に就任したころから、このメンバーは、「本山役員」と呼ばれるようになった。
 伸一は、健気に、はつらつと、清掃などの作業に汗を流す、彼女たちを見るたびに、心洗われる思いがしてならなかった。
 ある時、彼は、メンバーに言った。
 「皆さんは、凛と咲く、美しき創価の花です。だから、優雅にして、毅然と力強く、無冠の女王のごとく振る舞っていきなさい」
 また、伸一は、六六年(同四十一年)、この本山役員を、「白蓮グループ」と命名した。その名称が発表された七月八日は、後に、「白蓮グループの日」となるのである。
 白蓮――それは、白蓮華、白い蓮の花に由来している。
法華経では、蓮華を地涌の菩薩に譬え、「如蓮華在水」(蓮華の水に在るが如し)と説く。白蓮華が泥水にあって、美しい花を咲かせるように、末法濁世の汚泥の中にあっても、決して染まることのない、清らかな地涌の菩薩の生命それ自体を意味している。