小説「新・人間革命」 共戦 54 2012年 1月18日

山村年子は、『信心は素直に』との山本伸一の指導を深く胸に刻み、自分を見つめ、懸命に学会活動に取り組んだ。
そして、一九六四年(昭和三十九年)八月、東徳山支部が結成されると、彼女は支部の婦人部長になった。
『素直な信心』によって、山村の負けん気の強さは見事に生かされ、勝利への執念となって、徳山の広宣流布は、大きく伸展していったのである。
伸一は、徳山文化会館で、山村に微笑を向け、席に着いた。開会を告げる司会者の声が響き、山口広布二十周年を祝う記念勤行会が晴れやかに始まった。
伸一は、勤行、幹部あいさつのあと、マイクに向かい、懇談的に語り始めた。
「二十年前の山口開拓指導の折、この徳山で、なかなか弘教が実らずに苦労したことが、今でも鮮明に思い出されてなりません。
『徳山』の名前には、功徳が山のように積まれる地という意味があると、私は思っております。その徳山に、これまで会館が一つもなく、ご不便をおかけしました。
しかし、開拓指導から二十年たった今日、皆さんの力で、見事な徳山文化会館が完成いたしました。皆さんの法城です。
まさしく徳山の名のごとく、偉大なる功徳が積まれた証明といえましょう。
このように立派な広宣流布の牙城が完成したということは、それに尽力された皆さん方のご家庭にも、福運がつかないわけがありません。
皆さんのなかには、本家の方も、分家の方もいらっしゃるでしょう。しかし、
信心の面から見れば、御本尊を最初に受持した人は、創価学会の『本家』であり、子孫末代までの繁栄の根っこになる方です。
根は目に見えない存在であっても、根が深ければ深いほど、樹木は繁茂する。
同様に、皆さんも、一家一族の、五十年、百年、万年先までの繁栄のために、深く、強く、広宣流布の大地に、信心の根っこを張り巡らしていただきたいのであります」