小説「新・人間革命」 薫風 11 2012年 2月9日

漢方医は福富淳之介に、生命は三世永遠であることや、「色心不二」「依正不二」「一念三千」など、仏法の生命哲理を語っていった。
福富が、初めて耳にすることばかりであった。彼は、常々、疑問に思っていた生命の不可思議について、次々と質問した。
疑問の多くが氷解し、未知の世界が豁然と開かれていく思いに駆られた。自分の探し求めていた答えが、創価学会のなかにあるのかも知れないと思った。
また、一学生の自分に時間を費やして、懇切丁寧に仏法の法理を語ってくれる漢方医の誠実さと人柄に、好感をいだいた。
対話が始まってから三時間、福富は、自ら頭を下げて言った。
「ぼくも信心させてください!」
入会した福富は、同じ九州歯科大学の四年生で、グループ長の大内堀義人や、福富と同学年の三賀正夫と出会った。
大内堀は、鹿児島県出身で、入会は、福富より二年ほど早かった。彼も、医学を学ぶにつれて、生命に対して不可思議さを感じた。
『生命とは何か』と、思索を重ねていた時、帰省する車中で知り合った学会員から仏法の話を聞いた。それが契機となって、自ら求めて入会したのである。
また、三賀は、新潟県の出身で、福富より一カ月早い、一九六八年(昭和四十三年)二月の入会であった。
彼は、大学に入学すると、「無歯科医村研究会」に入った。無医村や無歯科医村をなくす方法を研究したかったのだ。
国は、国民皆保険制度を敷き、毎月、保険料を徴収しながら、医師不足や医師の都市集中のため、無医村や無歯科医村の人びとは、平等に医師にかかることができない。
国が、その解決に有効な手を打たないことに、彼は、強い怒りを覚えていたのだ。
青年、なかんずく学生が、世の中の矛盾、不合理を看過したり、黙認してしまえば、社会の改革も、自身の成長もない。
鋭い批判力は、青年のもつ最大の武器である。