小説「新・人間革命」厚田 12  2012年6月28日

歓喜をはらんだ山本伸一の力強い声が、広々とした畳敷きの講堂に響いた。
「わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたい──この恩師の遺言を、生死不二の原理に照らしていうならば、再び新たなる生命を蘇らせ、共々に広宣流布に戦っていこうとの意味でありましょう。
その永遠の広布旅、師弟旅の象徴ともいうべきものが、この墓地公園であります。
ともかく、快晴の見事な慶祝日和に恵まれ、この新たな創価学会の原点の地に、本日、われら弟子が、このように喜び勇んで参集できた事実は、何よりも御本尊の賞讃のしからしむるところと確信してやみません。
恩師・戸田先生のお喜びもいかばかりであろうかと、思わずにはおれない心境であります。
私自身、会長就任十七年半の間、幾多の慶事を迎えてきましたが、本日は、ことのほか嬉しく、また、晴れがましい慶事であると思っておる次第でございます」
それは、伸一の偽らざる心境であった。
彼は、誇らかに、宣言するように語った。
創価学会の基盤も、これで完璧に出来上がったと言っても過言ではありません!
この恩師ゆかりの厚田の大地は、私にとって『心の故郷』であります。
これからも、この地を訪れ、生涯にわたって同志を守り、恩師の遺徳を偲びながら、広布開拓の歴史を創っていきたいと念願してやみません。
皆さん方も、苦しい時、辛い時、行き詰まった時には、この地を訪れて墓参し、唱題して、恩師の心をわが心とし、蘇生して帰ってください。
そして、広宣流布への満々たる闘志をたぎらせ、生死不二、師弟不二の旅をしていっていただきたいのであります」
この日は、戸田講堂の晴れの開館の儀式である。伸一は、?今日は厳しいことは言わず、ここで話を終えようか?と思った。
しかし、広宣流布の道は常に険路である。この先、何が待ち受けているかわからないのが現実である。そう思うと、彼は、皆の覚悟を促さないわけにはいかなかった。