小説「新・人間革命」厚田 11 2012年6月27日

翌十月一日は、厚田・戸田講堂の開館式の意義をとどめる記念勤行会、祝賀の集いなどの諸行事が行われることになっていた。
朝、山本伸一は、講堂の窓から外の景色を眺めた。雲ひとつない秋空が広がり、色づき始めた木々が、鮮やかに陽光に映えていた。
正午過ぎ、北海道の同志の代表らが集い、戸田講堂の開館記念勤行会が、厳粛に営まれた。
伸一は、そのあいさつのなかで、戸田記念墓園、並びに戸田講堂の完成を心から祝福するとともに、北海道の同志ら関係者の努力に、深く感謝の意を表した。
そして、この墓地公園の意義について語っていった。
「恩師・戸田先生の遺徳を顕彰する、この厚田の墓地公園は、恩師の遺志を実現したものであります。
墓園の構想は、ある時、戸田先生が何げなく語られた、一言に由来しています。先生は、こう言われました。
『われわれは、未曾有の広宣流布のために、地から湧き出た学会っ子であり、地涌の菩薩である。
この末法の現実の世界で、波瀾万丈の戦いをしきって一生を生き、あとは、わが同志と一緒に、どこかで静かに眠りに就きたいものだな』
この当時は、戸田先生も、まだお元気なころで、広宣流布という長途の旅へ、共々に励まし合いながら進んでいく過程での話でありました。
ゆえに、どこという場所の明示はされておりません。
その恩師の言葉は、私の脳裏に焼き付き、消えることはありませんでした。このお言葉が、一つの重要な構想を芽生えさせていったのであります。
以来、熟慮を重ね、また、学会の首脳、北海道の首脳幹部とも話し合い、恩師の出獄三十周年の佳節にあたる一九七五年(昭和五十年)、厚田に墓地公園建設が正式決定し、ここに実現の運びとなったのであります」
伸一は、戸田の言葉を、一言たりとも聞き流すようなことはなかった。
すべてを生命に刻み、すべてを実現させてきたのだ。そこに真実の師弟の道がある。