小説「新・人間革命」厚田 46  2012年8月8日

生命は永遠である。ゆえに、老いとは、終局を待つ日々ではない。今世の人生の総仕上げであるとともに、次の新しき生への準備期間なのである。
命の尽き果てるまで、唱題に励み、師と共に、愛する同志と共に、広宣流布の大願に生き抜いていくのだ。
そして、わが生命を磨き高め、荘厳なる夕日のごとく、自身を完全燃焼させながら、大歓喜のなかでこの世の生を終えるのだ。
希望に燃えるその境涯が、そのまま来世のわが境涯となるからだ。
山本伸一は、創価の師弟について語り、追善法要でのあいさつの結びとした。
「私どもに、直接、一生成仏の大道である大聖人の仏法を教えてくださったのは、初代会長の牧口先生であり、前会長の戸田先生であります。
今日、私たちが、信心の正道を歩むことができるのは、幾多の弾圧の嵐をくぐり抜け、自ら犠牲になることも顧みず、大法弘通に殉じた先師、並びに恩師がいたおかげであります。
既に、新しい生を受け、広宣流布の戦いを進めているであろう故人たちも、創価三代の師匠の道に続いたがゆえに、最高の生命の大道を歩み、功労者として輝くことができたのであります。
どの師匠に続くかで、人生は決まってしまう。私たちの絆は三世永遠です。
いつも一緒ですよ。
日蓮大聖人の仰せ通りに、広宣流布に邁進してきたのが、創価学会です。
どうか皆さんは、その創価の師弟の道を貫き、一生成仏の人生を歩んでいってくださいと申し上げ、本日の私の話とさせていただきます」
大拍手が轟いた。そのなかに、盛んに拍手を送りながら、自分の来し方を振り返り、決意をかみ締める一人の婦人がいた。北海道婦人部長の斉田芳子であった。
彼女の旧姓は漆原といい、女子部時代には、北海道の部長であった嵐山春子と共に副部長として、また、後には部長として、北海道広布に奔走してきた女性であった。