小説「新・人間革命」厚田 47  2012年8月9日

漆原芳子は、北海道の函館生まれで、子どものころから画家を志し、東京の美術大学への進学を希望していた。
しかし、父親が定年を迎え、家には経済的な余裕がなかった。
彼女は、奨学金を受け、地元の北海道学芸大学函館分校(当時)の二年課程に進んだ。美術を専攻し、教員をめざした。
一九五三年(昭和二十八年)三月、大学を卒業し、小学校の教師になった。年末、体調が優れず、エックス線検査を受けた。
すると、結核と判明したのだ。やむなく休職することになった。
仕事にも慣れ、いよいよ、これからという時である。悔しくて仕方なかった。
これが、彼女の不幸の始まりであった。
「一寸先は闇」との言葉がある。順風満帆に見えても、何が待ち受けているのか、わからないのが人生という航路である。
だからこそ、生き方の羅針盤となり、信念のバックボーンとなる宗教が必要になるのだ。
芳子は、自宅療養をするうちに、幾分、健康を回復していった。
療養中の五四年(同二十九年)の秋、絵の好きな大学時代の友人たちから、東京の美術館巡りに誘われた。
当初、体を慣らす意味から、一緒に行く約束をしていた。しかし、母親から、「無理をしてはいけない」と諭され、直前になって断ることになった。
皆が出発した九月二十六日は、台風十五号が北上したことで、天気は昼前から大荒れであった。
しかも、夜になると、予報に反して台風は勢力を強め、風は、ますます激しくなっていった。函館の街は停電となった。
漆原の家は、強風でみしみしときしんだ。
ガッチャン!――二階から大きな音が響いた。強風のために窓ガラスが割れたのだ。
芳子は、暗闇のなか、懐中電灯を手に二階へ駆け上がった。
痛い!
割れたガラスを踏んでしまった。懐中電灯で照らした。足は見る見る血に染まっていった。不吉な予感を覚えた。