小説「新・人間革命」厚田 50  2012年8月13日

漆原芳子は、病を克服しようと、懸命に信心に励んだ。すると、入会三カ月余りで、職場に復帰することができた。
その直前、あの「小樽問答」が行われた。彼女も、この法論を傍聴した。
山本伸一の司会第一声から相手の誤りを突き、学会が大勝利を収めたのである。
それを、つぶさに見た彼女は、学会の信心に、ますます強い確信をもった。その喜びが、さらに芳子を活動に駆り立てていった。
実は、彼女には、自身や家族の病の克服以外にも、なんとしても知りたい、一つのテーマがあった。
『自分はなぜ、あの日、「洞爺丸」に乗らずに救われたのか。それは、どんな意味があるのか』ということであった。
『もし、「洞爺丸」に乗っていれば、私も死んでいたにちがいない。生死を分けたのは、東京行きを止めるように諭す母の言葉であった。
でも、それでも行くと、私が強く主張していたら、母は認めていただろう……』
偶然といえば、偶然のようにも思えた。
しかし、人生が、すべて偶然で決まってしまうならば、努力することさえ、空しくなってしまう。
彼女は、心の底から納得し、生命で実感できる、確かな回答を仏法に求めた。
しかし、職場復帰を果たした彼女は、仕事に追われ、学会活動を終えると、疲れ切ってしまい、教学に取り組むことができなかった。
任用試験も不合格に終わってしまった。
一九五六年(昭和三十一年)八月、北海道に、旭川、札幌、小樽、函館の四支部が誕生する。
この時、芳子は、函館支部の女子部の責任者に任命された。
『自分に、役職を全うできるだろうか』という不安も感じたが、彼女は、心に決めていたことがあった。
それは、 『何があろうと、広宣流布の活動からは逃げない』ということであった。
『引っ込み思案』である自分の性格を変えたかったからである。
自分の弱点は何かを見つめ、そこに挑戦していこうと一歩を踏みだすことから、人間革命が始まるのである。