大白蓮華  2012年(平成24年)8月号 巻頭言(No.752)

「健康長寿の生命を勝ちとれ!」
 創価学会名誉会長   池田大作

   断固して
   健康勝ちとれ
    偉大なる
   君の命は
     使命の生命と

 「人生にかける理想があり、それに向かって全魂を打ち込んで進む時、人間はいつまでも若いのです」と、ロシアの芸術の母ナターリヤ・サーツさんは微笑んでおられた。
 このサーツさんも「なんと若々しく、大きなエネルギーに満ちているのでしょうか!」と感嘆(かんたん)していたのが、創価の女性のスクラムである。
 若さは「心」で決まる。年を重ね、体が老いても、広宣流布に戦う心は、同志と共に躍動し、決して老けない。

 御義口伝(おんくぎでん)には、「我等(われら)が頭(こうべ)は妙なり喉(のど)は法なり胸は蓮なり胎(はら)は華なり足は経なり此の五尺(ごしゃく)の身(み)妙法蓮華経の五宇なり」(716ページ)と仰せである。

 仏法の極意(ごくい)は、遠くにあるのではない。父母から頂いた我が身こそが妙法蓮華経の尊極なる当体なのだ。
 ゆえに、題目を唱え、法のため、友のため、立正安国のため、頭を使い、足を運び、声を出す我が色心(しきしん)に、仏の智慧(ちえ)が冴(さ)えわたり、仏の大功力が満々と漲(みなが)ってこないわけがない。

 信心は最高にして無上の健康法である。ゆえに「張りのある勤行」を基本として、“絶対に健康になる”と一念を定め、一日一日、みずみずしい生命力で前進していくことだ。
 人の何倍も忙しい使命の毎日だからこそ、聡明(そうめい)に無駄(むだ)な時間を排(はい)して、上手に睡眠をとっていただきたい。無理を重ね疲れをためれば、病魔に付け入る隙(すき)を与えてしまうからだ。
 
「いのちと申す物は一切の財(たから)の中に第一の財なり」(1596ページ)である。
 自分が自分の名医となり、看護師となって、油断なく体調を整え、教養ある食生活も心がけていきたい。
 生老病死は人生の根本課題だ。誰人も、病気との闘いは避けられない。

 大聖人は、闘病中の壮年門下を労われて、「長い病にかかったことで、日夜ひまなく求道の心を起こされました」(1480ページ、趣意)と仰せである。
 信心が弱いから、病気になるのではない。信心を強めて、「人間革命」の転機とし、「一生成仏」の境涯を深めゆくために病気があるのだ。
 恐れなく病魔に立ち向かう中で、わが生命がどれほど尊厳であるかに目覚めることができる。どこまでも妙法と共に生き抜かんとする心に、永遠の仏の生命を感得できるのだ。

 幼い娘の病と闘う一家を励まされて、大聖人は「法華経の功力を思ひやり候へば不老不死(ふろうふし)・目前にあり」(1125ページ)と断言なされた。
 どんな病や苦しみがあろうとも、わが家は題目の師子吼(ししく)を轟(とどろ)かせて、断じて勝ち越えてみせる。この常楽我浄(じょうらくがじょう)の生命の勝利を示し切って、悩める友を励まし導いていくのだ。

 忘れ得ぬ長崎広布の母は、脳の大病を初信の功徳で見事に克服した。悪逆な坊主の迫害からも、島々まで奔走(ほんそう)して同志を守り抜いてくれた。
 87歳の今も「友を苦しめる三障四魔(さんしょうしま)は絶対に許さない!」と強盛に祈り、「青年を育てることが私の健康法です」と平和の対話を広げる。友人からも「貴女の声を聞けば、元気になる」と喜ばれる日々である。

 「『声仏事(こえぶつじ)』だよ。勇んで声を発せば、自分の仏の力が増す。わが生命力を吹き込んで、相手の命を蘇らせてゆくのだ」と、恩師は叫ばれた。
 病魔も退散する勇気凛々たる音声で、今日も生き生きと語り、闘おう!

  わが友の
   健康長寿を
     祈るらむ
    創価の城の
     完勝誓いて