小説「新・人間革命」厚田 55  2012年8月18日

追善法要が行われた翌日の十月四日午後、山本伸一は、妻の峯子や北海道総合長の田原薫らと共に、石狩川の渡船場に立った。
一九五四年(昭和二十九年)八月、戸田城聖と共にここに着き、厚田村を訪れたのである。
滔々と流れる雄大石狩川の対岸には、色づいた木々が見え、辺りは秋色に包まれていた。伸一は、あの師弟旅の折、戸田が船上で川面を見ながら語った言葉を思い起こした。
石狩川は大きいな。学会は、まだ渓流のようなものだが、広宣流布の流れを止めることなく、必ず大河の時代を開くんだよ。
前進が止まれば、信心の清流も澱み、濁ってしまう。
学会が、戦い続け、進み続けていかなければ、大聖人の仏法は滅びてしまう」
伸一は、その戸田の言葉を田原に語ったあと、北海道での今後のスケジュールについて確認した。
「先生には、本日夕刻、青年部の代表や墓苑事務局のメンバーとの懇談会に、ご出席いただくことになっております。
明日五日は札幌に移動していただき、北海道文化会館での各部代表との懇談会などが入っております」
「厚田の戸田講堂では、どんな行事が予定されていますか」
「記念勤行会が、六日、七日、八日と続き、九日には北海道幹部会が開催されます」
「それでは、私は六日中には厚田へ戻ります。七日から、全行事に出席し、話をさせていただきます。
九日には東京へ帰りますが、北海道幹部会に出てからにします。
それから、北海道として、特に研鑽していこうと決めている御書はありますか」
「特別に定めた御書はありません」
「それならば、北海道は『御義口伝』を研鑽御書とするよう提案しようと思うが、どうだろうか。
戦後、学会の再建に着手された戸田先生は、終戦の翌年の元日、『御義口伝』をもとに法華経講義を行われている。いわば、学会の再出発は、『御義口伝』とともに始まったといえるんです」