小説「新・人間革命」厚田 58  2012年8月22日

山本伸一は、厚田での一回一回の集いに、全身全霊を注いだ。激風にも、激浪にも、微動だにせぬよう、北海道の同志に、黄金の指針を残しておきたかったのである。
伸一は、十月八日も、記念勤行会に出席した。
彼は、初めに、戸田城聖の親戚から届けられた、戸田の手紙を読み上げていった。
「人生は不幸なものではない。居る所、住む所、食う物、きる物に関係なく人生を楽しむ事が出来る。人生の法則を知るならば、人生は幸福なのだ。何事も感情的であるな。
何物も畏れるな。何事も理性的、理智的であれ。そして、大きな純愛を土台とした感情に生きなくてはならぬ。敵味方を峻別せよ」
この手紙は、一九三八年(昭和十三年)に姪に送ったもので、便箋には「時習学館長 戸田城外」と印刷されている。
まだ、「城聖」と名乗る以前の手紙である。
「このなかで先生は、『人生は不幸なものではない』と宣言されています。
しかし、経文には、この世は娑婆世界と説かれており、耐え忍んで生きていかねばならない。
その意味からいえば、末法の現実社会に生きる人間は皆、不幸といえるかもしれない。
それなのに、なぜ『居る所、住む所、食う物、きる物に関係なく人生を楽しむ事が出来る』のか。
そこには『富を手にし、衣食住に恵まれることが、真実の幸福ではない。
本当の崩れざる幸福とは、わが胸中から泉のごとく湧き出る歓喜であり、生命そのものの充実感である』との、戸田先生の達観があります。
そして、その生命の充実感を涌現せしめる人生の法則を知り、実践する道が信心であり、御本尊への唱題なんです。
さらに先生は、感情的になってしまうことを戒められています。
それは、自分で自分が制御できず、怨みや憎悪や嫉妬、また衝動的な欲望に振り回されて、自分を破滅させてしまうことになるからです。
まさに仏典に説かれた、『心の師とはなるとも心を師とせざれ』(御書一○二五p)の文につながる言葉といえましょう」