【第4回】 世界に広がる創価教育の光 ㊦ 2012.9.21/22
子どもの幸福へ 心一つに団結!
学校はもとより、家庭にも、地域にも、社会にも、子どもたちを見守る、大人たちの温かくして深い眼差しが、これまでにもまして必要になっています。
「私は、大人も子供もみな、人生の模範として尊敬できる人をもつべきだと思っています」
「母のレオナ・マッコーレーは、私が自尊心と黒人への誇りをいだきながら成長するよう導いてくれました」
「ローズおばあちゃんは、子や孫へ愛情をそそぎつつ、自身の意志の強さを通し、私に良いお手本を示してくれました。そのおかげで、私自身も強い女性になることができました。 マーティン・ルーサー・キング牧師は、決意と自尊心をもって毎日生きることの大切さを、自ら良い手本となって私に教えてくれました」と。
このパークスさんの母親も、学校の教師でした。
心を開いて、相談できる人たちが身近にいる。尊敬を込めて、「その人だったら、どうするだろうか」と思いを巡らせる存在がある。そうした人間のネットワークが、陰に陽に、子どもたちの命を守り、支える力となるのではないでしょうか。
ともあれ、「異体同心なれば万事を成し」(御書1463ページ)であります。児童・生徒、保護者、教師、そして学校、さらには地域が「子どもの幸福」のために心を一つにして「異体同心の団結」を築いていけば、必ずや新たな時代の幕を開くことができます。
その団結を生み出すのは「対話」です。そして、この対話の文化が脈打つ社会の姿こそ「教育のための社会」と呼べるものでありましょう。
釈尊の人柄を伝える経文は『中村元選集〔決定版〕第12巻ゴータマ・ブッダⅡ』(春秋社)。マンデラの言葉は『自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝(下)』東江一紀訳(日本放送出版協会)。パークスは『ローザ・パークスの青春対話』高橋朋子訳(潮出版社)。
「人間をつくる」ことが未来を開く
難局打開の道は何か── 私は ただ教育の一途あるのみと断言してはばからない
頼もしいことに、今、若き創価の教育者の奮闘が、日本全国、世界の各国各地で光っています。
♪世紀の太陽 燦然と
希望の瞳 輝いて
一人も残らず 幸福に
未来を育む 誇りあり
この青年教育者の愛唱歌「世紀の太陽」の響きが、教育部歌「太陽のマーチ」とともに、私の胸に力強く迫ってきます。
太陽が明るく輝いているのは、人知れずに戦い続けて、勝ち抜いているからです。
青年教育者の愛唱歌は、こう結ばれています。
♪創価の精神《こころ》は 平和へと
世界を結ばむ 使命あり
この一節の通り、世界を結ぶ「教育の光」が、いやまして重要な時代に入っています。
昨年の年末には、わが教育本部の代表が「日中友好教育者交流団」として、中国の北京、天津を訪問し、熱烈な歓迎をいただきました。
男女の青年教育者も多く参加し、有意義な教育交流を大成功で飾り、立派に使命を果たしてくれました。
日本も、中国も、教育への取り組みは真剣です。そうした中、互いに学び合い、語り合う意義は、計り知れません。
政治や経済の次元では、多少の波風が立とうとも、教育の交流には、普遍性があり、未来性があります。
国を超え、民族を超えて、教育者の魂と魂が触れ合う中で、人類の明日へと架ける、希望と信頼の黄金の橋が築かれゆくことを、私は確信してやみません。
教育本部の交流団が、「私学の雄」と讃えられる人材輩出の最高学府・北京城市学院を訪問した折には、学院の発展をリードする劉林学長が、ご自身の“師弟のドラマ”を語ってくださったことを、感銘深く、お聞きしました。
劉学長の師匠は、私が「東洋学術研究」誌上で対談を重ねてきた顧明遠先生(中国教育学会会長)です。若き劉学長が書き上げた15万字に及ぶ博士論文を、顧先生は時間をかけて、実に丁寧に読まれ、句読点に至るまで添削してくださったというのです。
「愛情なくして教育なし」
これが、顧先生の教育哲学です。それをご自身が実践されてきた姿が目に浮かんできます。まさに教育者の鑑と感動しました。
「教育とは、氷を溶かす温水です。どんなに固い氷でも、教育の力で必ずや溶かすことができます」とは、劉学長が紹介してくださった顧先生の言葉です。
その顧先生も、自らが教壇に立たれる北京師範大学に教育本部のメンバーを快く迎えてくださったのです。特に大震災のあった東北の教育者を、心から励ましてくださいました。
こうした麗しい教育交流に、かつて、日本に留学していた若き日の魯迅先生と、その恩師である藤野《ふじの》厳九郎先生との出会いを思い起こすのは、私一人ではないでありましょう。
じつは、顧先生のご夫人・周藻《しゅうそう》さんは、大文豪・魯迅先生の姪に当たられる方です。
魯迅先生の行った教育について、顧先生は次のように語られています。
「まず第一に学ぶべきことは、彼(魯迅)が教育事業に献身的にどろんこになって取り組んだ精神である」
「献身的にどろんこになって」、若き生命に関わり、尽くし、育む。この人間教育の不撓不屈の魂が脈打つところ、いかなる壁が立ちはだかろうと、必ず突破できることを、私は信じてやみません。
顧先生は、私が提案し、教育本部が進めている「教育実践記録運動」の活動にも、大きな期待と関心を寄せてくださっています。
「一人一人の事例から学び、そこから法則性を見つけ出していくことが大切です。皆さんの活動に、今後も心より期待しています」と、温かなお言葉を寄せていただきました。
世界が認める教育実践記録の運動です。教育本部の皆さんは、今後も自信をもって取り組み、教育技術の向上に努めていただきたいと念願します。
今、日本も世界も、混迷の時代です。閉塞感を打ち破る希望の光は、どこにあるのか、皆が真剣に求めています。
「難局打開の道は何か。余は只教育の一途《いっと》あるのみと断言して憚らない」
ふるさとの東北から世界に雄飛した新渡戸稲造博士は、世界が経済恐慌に陥っている昭和初期に、その光明を「教育」に見出しました。
そして博士は、牧口先生が渾身の力を込めて著した同書に対し、「行詰れる現代社会の革新に甚大なる寄与をなすものである事を信じて疑わないものである」と、「尊敬と感動」をもって賞讃したのです。
この『創価教育学体系』は全4巻から成りますが、戸田先生は、戦後、その内の第2巻を『価値論』として再刊しました。そればかりでなく、世界約50カ国の420を超える大学や研究所に贈られたのです。師の偉大さを世界に宣揚せんとされた恩師の真心に、私は感涙を抑えつつ、この発送の実務に当たらせていただきました。
それが一つの因となり、現在、創価教育は事実の上で世界に広がり、希望の教育思想として注目されているのです。
南米ブラジルでは、牧口先生の創価教育学に基づいた教育プログラムに、100万人を超える児童が参加しました。2001年には、ブラジル創価幼稚園が開園し、現在、小・中学校にあたる「ブラジル創価学園」に進展しています。
さらにブラジルでは、「牧口先生公衆衛生技術学校」が開校しました。アルゼンチンの高校には、創価教育に共鳴し、もったいなくも私の氏名を冠していただきました。すばらしい人材育成をされていると伺っています。
わが教育本部の友も、毎年のように、海外日本人学校へ赴任され、これまで多くのメンバーが貴重な貢献を果たしてこられました。
SGI(創価学会インタナショナル)の教育者とも連帯し、世界的視野に立った平和・文化・教育の大道を、たゆみなく開いていってくれております。
子どもの歓声が名曲のように!
牧口先生の思想も、郷土から世界を展望し、学び、また郷土に立ち返って、わが地域の発展に貢献し、潤していくことを志向されていました。
80年前の1932年2月、牧口先生は、郷土・新潟の母校である荒浜の小学校に、自身の『創価教育学体系』第2巻を寄贈しています。いかに郷土の教育を大切にされていたか、この一点を見ても明白です。
牧口研究の海外における第一人者であられるデイル・ベセル博士(米インタナショナル大学元教授)は、創価教育の先見性として、「『新しい人間』の確立と、より人道的な社会機構の創造」という点を強調されていました。
そして、「人類が将来、この地球上に生存しようとするなら、より理解ある新しい人間と、より人道的な社会機構がどうしても必要となる。こうした現状を考える時、牧口の教育思想は現代にこそ、その意義と重要性を持つものであると思う」と断言されていたのです。
この博士の発言から、はや40年近く経ちました。いよいよ、創価教育の真価を発揮していくべき時代に入っているといってよいでしょう。
──それは牧口先生、戸田先生の悲願であった創価小学校が誕生して、日々新たな喜びが生まれる中でのことでした。
1年生の教室の脇を通った時、中から、明るいにぎやかな歓声が、はじけるように聞こえてきました。
私は一緒にいた先生に申し上げました。
「あの声が、ベートーベンの名曲のように聞こえたら、一流の教育者ですね」と。
子どもたちの元気な声こそ、伸びゆく「生命」の象徴です。世界の「平和」の希望の音律です。人類の「前進」と「創造」の源泉です。
この子どもたちの歓喜の声が轟きわたる「教育の世紀」へ、私は教育本部の皆様方と手を携えて、さらに全力を尽くしていきたいと、決意を新たにしています。
さあ、子どもたちの幸福のために! 人類の輝く未来のために! 希望に燃えて、新しい教育の勝利の扉を開きましょう! (完)