小説「新・人間革命」 奮迅 21 2013年5月28日

 山本伸一は、言下に答えた。
 「みんなに、絶対に幸せになってもらいたいという一念です。あのころ、どの人も貧しく、失業や病、家庭不和など、さまざまな悩みをかかえ、宿命に押しつぶされそうだった。
 それを打ち破り、宿命を転換していく道は、皆が地涌の使命を自覚し、広宣流布の戦いを起こす以外にない──私は、同志と会っては、そのことを叫び抜いたんです。
 皆、期間は短かったが、『この戦いで、弘教を成し遂げ、悩みを乗り越えてみせる』と懸命に唱題した。
 勇気をもってぶつかり、必死になって戦った。
 誰かに言われての戦いではなく、自身の生命の内から噴き上がる闘魂の実践になっていったんです。
 幸せになるための信心であり、学会活動ではないですか。全部、自分のためであり、それがそのまま、社会の繁栄を築いていくことにもなるんです。
 この活動のさなかも、その後も、多くの人から、苦悩を克服したという功徳の報告を受けました。
 学会の勝利の歴史といっても、同志が仏法への確信を深め、歓喜と幸せを実感してこその勝利であることを、リーダーは決して忘れてはならない」
 同行の幹部は、自分が忘れていた、いちばん大事なことに、気づかされた思いがした。
 「さらに、私が荒川区で力を出し尽くすことができた最大の理由は、『広宣流布の後事は、すべて大丈夫です』と言える拡大の実証を、戸田先生にご覧いただこうと、決意して
いたことです」
 伸一は、その時の心情を思い起こした。そして、唇を固く結び、彼方を凝視した。
 それから、心の糸を紡ぐように、ゆっくりと言葉を噛み締めながら語り始めた。
 「あの年(一九五七年)の夏、戸田先生は、夕張炭労事件、大阪事件と心労が重なり、体調を崩しておられた。
 学会は、六月末には会員約六十万世帯となり、先生が生涯の願業とされた七十五万世帯達成の頂は見え始めていた」