小説「新・人間革命」 奮迅 49 2013年7月1日

 講義開始の午後七時になった。
 山本伸一は、自己紹介から始めた。
 「私は、このたび、戸田先生の『名代』として川越地区の御書講義を担当させていただくことになりました山本伸一と申します。
 全精魂を注いで御書講義をさせていただくとともに、御書を身で拝され、広宣流布の指揮を執られている戸田先生の大精神を、皆様にお伝えしてまいりたいと思います。
 なお、この御書講義につきましては、戸田先生より、受講者の皆さんへ、各御抄の修了証書を賜ることになっております。
 若輩ではございますが、教学をもって、皆さんと共に、川越地区大発展の礎を築いてまいる決意ですので、どうか、よろしくお願い申し上げます」
 彼は、こう言って、深く頭を下げた。
 「講義は、時間の関係もありますので、重要な箇所を抜粋して講義させていただきます。
 また、終了後には、時間の許す限り質問をお受けいたしますので、わからないことがございましたら、なんでもお聞きください」
 まだ、創価学会による御書全集の刊行前であり、研鑽する御抄は、それまでの『大白蓮華』に掲載されたものである。
 ところが、何カ月も前に掲載された御抄もあり、教材を持っていない人もいた。
 受講者は選ばれた人であったが、御文を拝読してもらっても、途中で詰まってしまう人多かった。
 伸一の方から、語句の意味などを質問してみると、基礎的な教学の知識も乏しく、その回答からは、弘教への意欲も感じられなかった。 大多数の人は、ただ、「題目を唱えれば功徳がある」と聞かされ、入会に踏み切ったと言うのだ。
 皆、経済苦や病などの苦悩と格闘していた。 
 高邁な理想よりも、今日、食べる米をいかに確保するかが最大の関心事であるという人が、ほとんどであった。
 その庶民が立ち上がり、生活という現実と戦いながら、広宣流布の大理想をめざしてきたのが創価学会なのだ。
 そこに、民衆に根差した学会の強さがある。