【第17回】 「平和の種」を蒔く人に(下)(2013.9.1)

「勇気の一歩」で世界は変わる
平和の文化の母 エリース・ボールディング博士
平和は、お互いが日常的に助け合うなかにあります。家庭、そして地域社会こそが、きわめて重要な平和の出発点なのです
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 ──前回の「未来対話」を読んだ未来部員から、決意の声がたくさん寄せられています。
 「戦争で、不幸になる人はいても、幸せになる人は1人もいないことを、あらためて学びました。
 自分の生命も、他者の生命も大切にするという、当たり前だけど一番重要なことから、行動していきます」ともありました。
名誉会長 うれしいね。みんながいるから、世界は絶対に良くなる。これが私の確信です。
 君の誠実な決意の中に、平和の炎が燃えている。あなたの真剣な祈りに、人類の未来が輝いている。若くして生命尊厳の仏法を持《たも》ち、平和を目指して学び続ける、みなさんこそ、何よりも尊い世界の希望です。
      
 ──「ポーリング博士(ノーベル化学賞・平和賞を受けた科学者)」の姿を知り、平和のために戦う人が迫害されることに、憤りを感じました。池田先生も同じです。先生は、なぜ、迫害の連続の中、世界平和の闘争を続けることができたのでしょうか」という質問がありました。
名誉会長 君の憤りは、まさに「正義の怒り」です。
 日蓮大聖人は「瞋恚《しんに》(怒り)は善にも悪にも通ずる」(御書584㌻、通解)とご指南されています。
 前回、自己中心的な「怒り」が戦争の原因であることを、御書を拝して学びました。こうした悪に通ずる「怒り」がある一方、「怒り」は善にも通ずると仰せです。
 それは、生命という最も尊厳な「宝」を傷つける魔性への「正義の怒り」です。これこそ、平和の出発点と言えるでしょう。
 私の恩師・戸田城聖先生は、悪に対しては、それはそれは激しく憤怒された。なかんずく、最も正しく、最も偉大な師匠・牧口常三郎先生を獄死させた軍国主義への怒りは、烈々たるものでした。
 この正義の怒りに貫かれた「原水爆禁止宣言」が、私たちの平和運動の大いなる原点です。
 1957年(昭和32年)9月8日、神奈川で開催された青年部の体育大会で、戸田先生は不滅の宣言を発表されたのです。
 先生は断言されました。「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」
 あらゆる戦争や核兵器は、人間の心の中に潜む魔性の現れであると、先生は見抜いておられました。その魔性を打ち砕いて、民衆の生命を守り抜くために、ご自身の命をかけて師子吼されたのです。
 そして、この「核兵器を使用した者は魔物である」という思想を世界に広めゆく大使命を、青年に託されました。
      
 ──核兵器廃絶を目指す科学者の連帯「パグウォッシュ会議」の創設者・ロートブラット博士は、戸田先生を「平和の英雄」「平和の殉教者」と讃えておられました。そして池田先生に、「今、私たちは、非常に厳しい状況にあります。この状況をなんとか抜け出さなければなりません。池田先生に、そのためのリーダーシップをとってもらいたいのです」と語られました。
名誉会長 ロートブラット博士は、世界的に有名な「ラッセル=アインシュタイン宣言」(核兵器と戦争の廃絶を訴える世界的科学者たちの共同宣言)に、ポーリング博士たちと一緒に署名した偉大な科学者でした。宣言には、こうあります。「私たちは、人類として、人類に向かって訴える──あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と」
 人間性に焦点を当てた宣言は、戸田先生の「原水爆禁止宣言」の精神と深く響き合うものです。
 恒久平和は、制度や法の整備だけでは築けない。どこまでも、人間自身の心に「平和の砦」を築き上げることが、一切の根本です。
 戸田先生は、民衆をこよなく愛した偉大な指導者でした。地上から「悲惨」の二字をなくすために立ち上がった平和の師子王でした。邪悪を断じて許さない正義の大英雄でした。ゆえに、一人を徹して励まし、尊い使命を教えていかれたのです。
 「原水爆禁止宣言」を聞いたあの日、私の心は燃えました。先生の弟子として、師の信念を一生涯、世界中に広め抜いていくのだ、と。
 以来、私は世界中を駆け巡り、人類を結ぶ対話を繰り広げてきました。各国の指導者と語り合い、核兵器の悲惨さを訴える展示も行っています。平和と幸福の社会を築くため、恩師の精神を広めるため、無理解の中傷を浴びようが、行動し続けてきました。
 海も前に進めば、荒波が立つ。山も高く登れば、烈風が吹く。
 「正しいこと」をしようとすれば、反対や圧迫があるのは、当然です。全部、分かっていました。しかし、恩師との誓いを断固と果たす。これが私の人生ですから。
      
 ──1975年(昭和50年)1月26曰、SGI(創価学会インタナショナル)が発足しました。その際、池田先生は、51カ国・地域の代表に「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持でなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と述べられました。
名誉会長 今、その「平和の種」は、世界192カ国・地域で、花となって開き始めました。
 いよいよ爛漫と咲き薫らせていくのが、未来部のみなさんです。
 種は小さい。華やかさはない。誰も見向きもしないかもしれない。でも、夏の暑さや冬の寒さにも、じっと耐え、時を待って、芽を出し、大輪を咲かせる。平和の行動だって、同じです。
 その意味から、私の大切な友人で、「平和の文化の母」と讃えられたエリース・ボールディング博士の言葉を贈りたい。
 「平和は、たんに危機に対処するだけではなく、お互いが日常的に助け合うなかにあります。家庭、そして地域社会こそが、きわめて重要な平和の出発点なのです」
 ──博士は、国際平和研究学会事務局長、国連大学理事などを務め、第2次世界大戦の中でも、平和の闘争に走り抜かれました。5人のお子さんを立派に育てられながら、平和運動の推進に尽力された平和の母です。
 先生と対談集『平和の文化」の輝く世紀へ!』を残されました。
名誉会長 この偉大な博士が手本とされたのも、ご自身のお母さんでした。
 博上が幼いころ、近所に老人ホームがあり、博士のお母さんは、そこの方々をいつも気遣っていた。時には、幼い博士を連れて行き、皆の前で歌を歌わせたり、ダンスを踊らせたりしました。
 そうした母の振る舞いから、人々に尽くし、幸せにすることが、私の使命だと、博士は心に刻んだのです。
 平和の舞台は、何か特別な場所にあるのではない。家庭や学校、地域社会のどこにだってある。
 そう、みんながいる場所が、即、平和の本舞台です。日々の生活の中にこそ、平和の種が芽を吹き、花開く土壌があるのです。
      
 ──未来部のメンバーからも、「平和を求めることは、世界中の誰でもできることだと思います。私もその一人として、平和を願い、少しでも、できることから行動したい」「今、私にできることは少ないけど、題目をいっぱいあげて、世界平和を祈り、元気なあいさつで、みんなを笑顔にしたいです」等々、今いる場所で頑張るという決意が届いています。
名誉会長 素晴らしいね。
 みんなが今、できることは、決して「少し」なんかじゃありません。むしろ、貴重な青春時代だからこそ、直接、たくさんの平和を築くことができる。
 それは、、なぜか──。
 「友情」が平和の力だからです。
 「親孝行」が平和の源だからです。
 「勉学」が平和の光だからです。
 君が友達と励まし合い、良い友情を築いた分、平和は前進します。
 あなたが成長しご両親に喜んでもらった分、平和は広がります。
 みんなが徹して学び、民衆を守る力をつけていった分、世界を平和で照らしていけるのです。
 何より、みなさんは、題目を唱えて、白身に秘められた生命の無限のエネルギーを取り出せる。
 「『魂の力』は原子爆弾よりも強い」とは、インド独立の父・ガンジーの信念でした。みなさんの生命の力は、核爆発の巨大なエネルギーを表した方程式「E=mc2」(Hはエネルギー、mは質量、cは光速)でも測れないくらい、はるかに大きいのです。
 だから、今は一生懸命、題目を唱え、みんなの周りにいる人を大切にしてほしい。学びに学び、心身を鍛え、大きく成長してほしい。それが、全部、「平和の種」となっていくんです。
      
 ──空襲で家が焼かれても、家族のために明るく振る舞われた池田先生のお母さまのエピソードに感動した未来部員が数多くいました。「どんな時でも明るく周囲を照らせるお母さんに尊敬の心が湧きました。私も、支えて励ますことができるよう、努力します」と語っていました。
名誉会長 あなたが、お母さんを尊敬する美しい心こそ、平和の原点です。
 大聖人は、「悲母の恩を報ぜんために」(御書1312㌻)、すなわち 母への恩返しのためにと述べられて、民衆救済の大闘争を起こされました。
 ボールディング博士も、学会の婦人部の座談会に出席されて、「本当の人間の精神を感じたように思いました。家族と過ごしているような温かさを感じたのです」と感動を語っておられました。
 母は偉大です。母は強く、たくましく、優しい。人を慈しむ「母の心」を人類が忘れなければ、戦争は決して起こりません。母を大切にする時、みなさんの平和の心は大きく育まれていくんです。
 みんなも、お母さんのために、成長の日々を送っていこう。
 たまには家事も手伝って差し上げてください。急にお手伝いを始めたら「何かあったの?」と心配されるかもしれないけど、そうしたら「これが私の平和の第一歩です」と答えてごらん(笑い)。「うちの子は平和の天使かしら」と、きっと喜んでくれるよ。もちろん、少しは「お父さんのため」にも頑張ってね(大笑い)!
      
 ──池田先生は、今からちょうど20年前の8月6日、小説『新・人間革命』の執筆を開始されました。この日は1945年(昭和20年)、広島に原子爆弾が投下された日です。
 平和ほど、尊きものはない。
 平和ほど、幸福なものはない。
 平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。
 この冒頭の一節が刻まれた碑が、戸田先生の故郷である北海道の厚田や、池日先生が平和旅の第一歩をしるされたハワイ、SGI発足の地・グアム、モンゴルなどに建立されています。
名誉会長 20世紀は「戦争の世紀」でした。21世紀は、断じて「平和の世紀」「生命尊厳の世紀」にしなければならない。ゆえに、私は戦い、語り、書き続けます。
 何より、私には、21世紀の本命中の本命である、後継の末来部がいます。
 さあ、君の「勇気の一歩」で、世界を変えていこう!
 あなたが「正義の走者」となって、平和を創り、広げていこう!
 きょうも、何ものにも負けない若き生命のエネルギーを、満々と発揮しながら!
 ボールディング博士の言葉は池田先生との対談集『「平和の文化」の輝く世紀へ!』(潮出版社