【第16回】 小さな疑問が大きな力に (2013.8.1)

夏まっさかりだね。暑さに負けないで、みんな、元気かな?
アサガオやヒマワリなど、夏の花たちも生き生きと咲いていますね。
みんなは、なぜ、多くの花々があんなに美しい色をしているのか、考えたことはありますか?
一つの理由は、あざやかな色で、ハチやチョウをさそって、花粉を運んでもらうためです。
実は、もう一つ理由があるといいます。それは、太陽の光にふくまれる紫外線と戦っているからです。(田中修著 『植物はすごい』 中公新書
近年、強い紫外線を体に浴び続けると、植物にも人間にもよくないことがわかってきました。しかし、植物は、人間のように、ぼうしをかぶったり、日かげに移ったりすることはできません。そのかわりに、きびしい紫外線から身を守る力が、花の色に、ふくまれているのです。
つまり、逆境に負けないように努力しているからこそ、花は美しくなる。そう思うと、野に咲く花も、私たちに励ましを送ってくれているようですね。
夏は、朝のラジオ体操、盆踊りや夏祭り、花火大会など、楽しい行事も多いでしょう。
私も、小学生の時、夏休みが待ち遠しくてたまりませんでした。
あれは、9歳の夏のことです。
私のふるさと、今の東京・大田区蒲田駅の周りには、夜になると、よく露店が立ち並びました。
金魚すくいや綿菓子、あめ細工の店などをワクワクしてのぞいて回ると、夜店の列の端っこで、背の高い外国人の男の人が、カミソリを売っていました。
「ワタシ、ニッポン、ダイスキデス」と道行く人にニコニコしながら呼びかけています。
でも、買う人はいませんでした。それどころか、いじわるをしたり、からかったりする人すらいました。
その時、日本は外国との戦争を始めていました。戦火は広がり、世の中は、外国人を差別するようになっていたのです。
「同じ人間なのに、なぜ?」
この時、私が思った疑問です。やがて戦地より、いったん帰ってきた兄から、戦争がどれほど残酷かを聞きました。おそろしい空襲も経験しました。兄が戦死し、母の悲しむ姿も、目の当たりにしました。
「なぜ、人間どうしが、にくみ合い、傷つけ合うのか?」──この疑問は、ますます深まりました。
のちに、この疑問をかかえた私の心を、大きな光で照らしてくださったのが、師匠・戸田城聖先生です。
戦争が終わって2年後、1947年(昭和22年)の8月14日、創価学会の座談会で戸田先生と初めてお会いしました。
先生は、戦争中、2年間、牢獄に入れられても負けないで、平和と正義の信念をつらぬいた方です。先生は言われました。
「私は、この世から、一切の不幸と悲しみをなくしたいのです。これを広宣流布という。どうだ、一緒にやるか」と。
この偉大な先生を信じて、私は、学会に入りました。少年時代からの「なぜ?」という疑問を解決し、そして「同じ人間」がみな、平和で幸福に生きる世界を建設するために、第一歩をふみ出したのです。
「アフリカの環境の母」とたたえられるワンガリ・マータイ博士も、小さいころの「なぜ?」「どうして?」という疑問を大切にされていました。
私がお会いした時、話してくれました。──ある日の朝早く、うす暗い空に流れ星が走りました。博士はこわくなり、家の中に入って、お母さんに聞きました。
「ねえ、どうして空は落ちてこないの?」
お母さんは、やさしく答えてくれました。
「空は落ちてなんかこないわよ。それはね、私たちの周りを囲んでいる山には、とっても大きな水牛がいて、水牛には、とっても大きな角があって、それが、お空を支えてくれているんだよ」
博士は、お母さんの話を聞いて、ほっとするとともに、「なんて、すてきなんだろう」と思ったそうです。そして「自然がどれほど私たち人間を守ってくれているか」を思い出させる話として、今も心に残っていると語られていました。
マータイ博士は、これが環境問題への関心を深めるきっかけとなって、学びに学んで偉大な学者となりました。そして、アフリカの砂漠化をくい止める、壮大な植林運動に人生をささげてこられたのです。
マータイ博士をはじめ、世界のリーダーと対話する時、互いに質問をし合います。新しいことを知ろう、相手から学ぼうと、質問を次々に発します。
質問すること自体が、新しい発見をする「探究の一歩」であり、人間の心を結び合う「平和の一歩」ともいえるでしょう。
12年前の夏、私はアメリカのある小学校の友に、一つの詩を贈りました。
「空は なぜ青いのか?
 磁石に 鉄が
 吸い付くのはなぜか?
 恐竜は なぜ滅びたのか?
 宇宙の果ては
 どうなっているんだろう?
 『なぜ?』 『どうして?』 と
 問いかける心
 それは 『科学者』 の心だ」──と。
本当に頭がいい人とは、たくさんの物事を知っている人ではない。むしろ「なぜ?」「どうして?」と、いっぱい疑問をもって、問い続ける人ではないでしょうか。
そして、すぐに答えが出なくても、ねばり強く考え抜いていく人です。
大切な友人に、ロシアの名門・モスクワ大学の総長をつとめられた、世界的な物理学者のログノフ博士がいます。
博士が若い時、学校の先生が二日かかっても解けなかった問題があったそうです。
先生も解けない問題とは、どんな問題なのだろう──興味をもった博士は、難問に何日も挑み続けました。そして、ようやく答えにたどりついた時には、「それこそ、お祭りがやってきたような気分でした」と、うれしそうに振り返っておられました。
苦労すればするほど、わかった時の喜びは大きいものです。
「なぜ?」と問いかけている時こそ、頭がたくさんはたらき、自分が大きく成長できるチャンスです。
だから、大事なのは「なぜ?」と思ったことを、そのまま放っておかずに、だれかに質問したり、本で調べたりすることです。
一つの「なぜ?」を追求していくと、また新たな「なぜ?」が生まれてくることがあります。それもまた、聞いたり、調べたりしましょう。このくり返しが、ぐんぐんと頭をよくしてくれます。
知らないこと、わからないことは、少しも、はずかしいことではありません。「何でも聞いてみよう!」「何でも学んでいこう!」──この心こそ、青春の誇りです。
どうか、この夏、いろいろなことに挑戦し、「なぜ?」「何これ?」「不思議だな」という疑問をいっぱい見つけてください。
それが、きっと、新しい冒険のように、みなさんの世界を大きく広げる「希望の翼」となっていくはずです。
暑い日が続きます。熱中症や交通事故には、くれぐれも気をつけて、楽しい夏休みを過ごしてください。
来月も、一回り大きくなった、みんなに会えるのを楽しみにしています。