【第38回】 大法弘通こそ永遠の学会魂  (2013.9.18)

地涌の使命」の自覚
 御聖訓には「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(御書903㌻)と仰せである。
 我らは、共に広宣流布に戦うことを願って、今この時に生まれてきた地涌の菩薩である。この使命と宿縁を自覚して題目を唱えれば、わが生命から無限の力と智慧が湧いてくる。
 折伏は、最高の仏の行動である。
 ゆえに、明るく楽しく挑戦していくことだ。
下種に無量無辺の生命の宝が
 折伏とは、どこまでも一人を大切にし、誠実に励ましを送る尊極の振る舞いである。
 相手を思って一生懸命に話しても、通じない時もある。悔しい思いをすることもある。しかし、その苦労は全部、生命の宝に変わる。
 日蓮仏法は下種仏法である。
 一言でも語れば、その人の生命の大地に、仏の種が植えられる。種を植えれば、必ず、いつか芽が出て、花が咲き、実る時が来る。
 創価の友が、あの地この地で、何回も何回も、たゆまず種を植え続けてきたからこそ、広宣流布の大森林が世界に広がったのだ。
 今、社会は深く仏法を求めている。青年の信念の対話を、勇気凜々と進めてもらいたい。
宿命転換の劇を綴ろう
 信心は「生きる力」「幸福の源泉」である。自行化他の実践である学会活動に励む人は、生き生きとしている。不幸になるわけがない。
 折伏は大変だけれども、これ以上の成長の因はない。煩悩即菩提である。悩んで挑戦した分だけ、幸福になる。そもそも、折伏で悩むこと、それ自体が仏の悩みである。折伏する人は、すでに仏の境涯の人なのである。
 戸田先生の小説『人間革命』は、法難の獄中での「この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ!」という断固たる決意で結ばれていた。これが、学会精神の真髄である。
 後継の君たちよ、「わが生命が仏なり」「わが生命が妙法の当体なり」との大確信をもって、声も惜しまず、大仏法を語りゆけ!