正義 11 2014年 1月15日
牧口は、日蓮正宗も、時代の変遷のなかで、儀式主義に陥り、葬式仏教化していたことに、強い危惧をいだいていた。
後に牧口は、次のように語っている。
しかし、学会が、宗教の教えには高低浅深があり、人生の根本法則である正法への信・不信が、生活上に価値(功徳)・反価値(罰)、幸・不幸の現証をもたらすことを訴えていくと、宗内からは強い反発が起こった。
葬式仏教となった他宗派に同化して、折伏精神を失っていた僧たちは、大聖人の仰せ通りに、仏法の王道を突き進むことを恐れていたのである。
広宣流布を忘れ、その実践を失えば、難が起こることはない。だが、そうなれば、大聖人の御精神を、魂を、捨て去ることになるのだ。
一九四三年(昭和十八年)六月、それを物語る驚くべき出来事が起こった。いわゆる「神札事件」である。