正義 13 2014年 1月17日
師の牧口は、獄中にあって殉教したが、理事長であった弟子の戸田は、牧口の広宣流布への遺志を受け継ぎ、一九四五年(昭和二十年)七月三日、生きて獄門を出た。
敗戦を間近にした焼け野原に一人立った。
出獄後、戸田は、直ちに学会の再建に着手した。
広宣流布の団体であることを、鮮明に打ち出したのである。
そして、出獄から六年後の五一年(同二十六年)五月三日、第二代会長に就任する。
その時、彼は、こう訴えた。
「私の自覚にまかせて言うならば、私は、広宣流布のために、この身を捨てます!
私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は、私の手でいたします。願わくは、それまでに宗門におかせられても、七十五万だけやっていただきたいものである」
また、もし七十五万世帯が達成できなかったら、「遺骸は品川沖に捨てよ」とまで語ったのである。
広宣流布の大願は、一人立つ勇者によって成し遂げられるのだ。
そして、その師子に続いて、また一人が立ち、二人、三人……と立ち上がる、一人立つ者の総和が、大願を現実化していくのだ。
自らが立たず、数を頼んでも、それは烏合の衆であり、臆病な羊の群れである。そこには「法華弘通」という大願の成就はない。
自らが師子と立つ──それが創価の大道だ。