正義 25 2014年 1月31日

 
宗門の僧たちが学会を攻撃する際に、盛んに語っていたのが、「学会は会長本仏論を説いている」ということであった。
学会では、会長が「本仏」などと言ったことは一切なかった。
一部の幹部らの発言に誤解を招く表現があったことなどを槍玉に挙げたり、話を曲解したりしての批判であった。
そもそも師の戸田城聖が、自分を「生き仏」「教主」などと言う者がいると真っ向から否定し、自分は「立派な凡夫」と語っているのだ。
山本伸一は、戸田の弟子である。彼は、自分のことを、「大田の貧しい海苔屋の息子です。庶民なんです」と語るのが常であった。
また、僧たちは、「学会は寺を軽視している」と騒ぎ始めていた。
これも、とんでもない話である。
学会は宗門の繁栄を願い、懸命に外護してきた。総本山の整備や、末寺の建立に全力を尽くし抜いてきたではないか。
さらに彼らは、学会員が地域友好のために地域の祭りに参加したことをもって、「謗法を容認している」と言いだしたのである。
古くからの地域行事には、宗教となんらかの関わりのあるものが多い。
しかし、既に地域の慣習的な行事となり、宗教性は希薄化して、親睦を図る社会的、文化的な催しの意味合いが強い。
それをことごとく否定すれば、社会生活は成り立つまい。
地域行事などを通して友情と信頼の輪を広げてこそ、広宣流布の広がりもあるのだ。
そもそも日蓮大聖人は、「謗法と申すは違背の義なり」(御書四p)と仰せである。正法に背き、反対することが、謗法の本質的な意味である。
大聖人が、「ただ心こそ大切なれ」(同一一九二p)と言われたように、御本尊に対する信心が揺るがないことこそが重要なのである。
軍部政府の宗教弾圧に屈して、天照大神の神札を祭るといった行為は、当然、「謗法」と断じなければならない。
しかし、広宣流布への固い決意をもって、地域の文化的、社会的な行事に参加することは、決して「謗法」とはいえない。