正義 65 2014年3月19日

 
二十四日の午後二時半、三重文化会館に到着した山本伸一は、居合わせた近隣の会員と記念撮影し、皆で一緒に勤行をした。
さらに、県の代表幹部との懇談会に臨み、意見に耳を傾け、質問に真心を尽くして答えた。
また、移動の車中で作った歌などを、参加者に贈った。
そして、三重支部結成十八周年の記念幹部会に出席したのである。
彼は、この席でも、個人指導の重要性について訴えた。
日蓮大聖人は、四条金吾南条時光をはじめ、多くの弟子たちに御手紙を与えられた。
その数は、御書に収録されているものだけでも、実に膨大であります。
それは、何を意味するのか。一言すれば、広宣流布に生きる一人ひとりの弟子に対して、「何があろうが、断じて一生成仏の大道を歩み抜いてほしい。そのために、最大の激励をせねばならない」という、御本仏の大慈大悲の発露といえます。
一人でいたのでは、信心の触発や同志の激励がないため、大成長を遂げることも、試練を乗り越えていくことも極めて難しい。
私どもが、個人指導を最重要視して、対話による励ましの運動を続けているゆえんも、そこにあるんです。
また、聖教新聞などの機関紙誌を読み、学ぶことも、信仰の啓発のためであり、信心の正道に生き抜いていくためです。
自分一人の信仰では、進歩も向上も乏しい。我見に陥り、空転の信心になりやすい。
ゆえに広宣流布のための和合の組織が必要不可欠であることを、私は強く訴えておきたい」
伸一にとっては、一回一回の会合が、一人ひとりの同志との出会いが、生命触発の「戦場」であった。
真剣勝負であった。広布破壊の悪侶らは次第に数を増し、牙を剥き、愛する同志を虎視眈々と狙っていたからである。
伸一は、翌二十五日には、舞台を関西に移し、ここでも同志の激励に全生命を注いだ。
魔の執拗な攻撃を打ち破るには、正義の師子吼を発し続けるしかない。