【第14回】  御書を拝して大境涯を開け  (2014.4.6)

アメリカでも青年部の教学運動が目覚ましい。尊き地涌の菩薩の使命に燃えている。
 韓国・台湾では、壮年・婦人も青年と一体で教学試験に挑み、異体同心の団結が麗しい。アジア、南米、オセアニアで、さらに欧州やアフリカの友も、幸福と平和と希望の哲理を探究している。
 「女子部は教学で立て」との恩師の指針を、全世界の華陽の友が実践している。
 すごい時代だ。最高に尊い。うれしいことである。
 御書を学べば、あらゆる難を乗り越える大確信がほとばしる。冬は必ず春となる! 不屈の勇気が湧いてくる。
 戸田先生はリーダーに、よく語られた。
 「疲れた時にこそ、御書を拝読していけ! たとえ一行でも、二行でもよい。御書を拝して、自らの境涯を、もう一歩、開くのだ」
 戦後、師と共に苦境を乗り越えた青春の日々。私は日記に御書を記した。
 「法華経の剣は信心のけな《勇》げなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼう《金棒》たるべし」(1124㌻)
 ──法華経という剣は、勇気ある信心の人が用いてこそ役に立つのであり、これこそ「鬼に金棒」なのである──
 病との闘いも続いたが、その中で、教学を学び、弘教に励んだ。友人と会う約束を反故にされたり、座談会に新来者を迎えられなかったり、それでも奮起して挑戦した。仏道修行こそが、真の人生の価値を生むからだ。
 「煩悩即菩提」「変毒為薬」の法理のごとく、広布に戦えば、悩みは全部、成長の因に変わる。疲れは充実と喜びに変わる。これが「妙法」である。その功徳は永遠である。