【第2回】 ニューデリーの虹 2014.5.1)
苦も楽も青春勝利の光彩
仏法は「本因妙」。「さあ今から」「これからだ」と前進する希望の哲学
ありのままの自分で題目をあげきり伸び伸びと進め
虹は、天空が贈ってくれる喜びの笑顔であり、希望の笑顔です。
西には黄金の夕日が輝き、東には深緑の大地から七彩の虹が光の弓のように湧き立っていました。
この日、私は、インドのラジブ・ガンジー首相の写真展の開幕式に出席しました(1997年10月19日)。
式が始まる直前、この季節のニューデリーにはめずらしく、にわか雨が降り始めました。ほこりっぽい空気が慈雨で清められ、一陣の風が大地を駆け抜けると、あたりはぐっと涼しくなりました。
来賓の方々と、「雨は、きっと喜びの雨でしょう」と語り合ったことが懐かしく思い出されます。
大きな二重の虹を見たのは、式典を終えて、宿舎に戻ったばかりの時でした。壮大なる天空の芸術に、手元のカメラのシャッターを切りました。
実は、この前の日、私は、もう一つの虹に心をはずませていました。インド創価学会の文化祭の最後の演目で、未来部の友が元気いっぱい舞台に躍り出てきた姿に、「希望の虹」を見たのです。
インドの無限の未来が、輝きを放っていました。
七色の虹は、「多様性」や「共存」の象徴ともいわれます。
亡きラジブ首相が撮影した写真には、インドの大地を彩る、その多様性の共存が、鮮やかに映し出されていました。
浜辺で砂遊びをする少女、遊牧民の少年、市場で店を構える商人、じゅうたん織りの職人──一葉ごとに民衆を愛する心があふれていました。まさに虹のように多彩に輝くインドの躍動がありました。そこに写っている誰一人が欠けてもインドではないという、断固たる信念が光っていたのです。
また、牙をむいて威嚇するトラ、建設現場での人々の暮らし、演奏会の舞台裏、色とりどりのシルクのパラソル──生活の中で見たもの、触れたものを、飾らず、素直な心でごフジブ首相はカメラに収めていました。
“格好なんてつけなくていいんだ。ありのままの自分で光っていくんだよ”と、写真は語りかけてくるようでした。
インドには、4000年以上も前から文明が発達し、長い歴史のなかで、多様な民族、そして宗教が存在してきました。
みんなの中には。「これだけ『違うもの』が一緒になると、うまくやっていけないのでは?」と考える人もいるでしょう。
もちろん、対立もあれば、衝突もあります。それでもインドは、幾千年の歴史の中で、民族や宗教や言語の違いを残しつつ、「精神の統一」を生み出してきました。
インドの広大な大地は、人々に大きな心を育んできたのです。
皆さんのクラスや部活にも、いろいろな人がいるでしょう。育った環境も違えば、性格が合わない人もいる。でも、みなが同じような人ばかりだったら、どうでしょうか。こぢんまりと、まとまっても、おもしろくないでしょう。
むしろ違っていいのです。違うからこそ、触発があり、新たな発見があり、自分にどんな個性があるのかも分かる。いろんな人がいるから学び合えるし、互いに成長できる。大きな心で違いを認め、包み込んでいけばいいのです。
しかし人間は、「違い」ゆえに、人を差別し、分かり合えないと決めつけるクセがあります。
インドの大地で悟りを開いた釈尊は、「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」と説きました。
自分の心に突き刺さった一本の矢」を抜き去り、同じ人間として相手と向き合ってこそ、心と心の間には、美しい「友情の虹」がかかります。
世界の平和とは──この「友情の虹」を、自分から友だちへ、周囲の人々へ、一本また一本とかけていく挑戦の中に輝くのです。
「差異《さい》」は、地球を平和で包み、幸福で彩《いろど》る「彩《さい》」へと変えられる。その力が、皆さんの中にあることを、断じて忘れないでください。
「傷つくことを恐れてはいけません。世の中はさまざまな痛みであふれていますが、それらに立ち向かってこそ、強く勇敢になって、偉大なことを成し遂げられる自分になるのです」
これはごラジブ首相が少年のころ、大好きなお母さんに言われた言葉です。
私がラジブ首相と東京でお会いしたのは、1985年11月。お母さんのインディラ・ガンジー首相が暗殺され、その後を継いで首相に就任して1年後のことでした。
明るい笑顔。毅然とした振る舞い。不屈の信念と誠実さが伝わってきました。会見はこの一度だけでしたが、首相が「青年こそ未来そのものです」と語った声は、今も私の胸に響いています。
ラジブ首相は、もともとパイロットでした。しかし、お母さんの言葉を心に刻み、苦難を恐れず、政治の世界に飛び込んだのです。
「どんな仕事をしていても、満足するかどうかは自分の手の中にある。一つのことを決定したあと、前のことで後悔することは、良いことではないし、私は後悔はしていない。また、私は後悔する暇もない」
信念に生き抜く人に、後悔はありません。いわんや、偉大な仏法を持《たも》った皆さんには、後悔なんて必要がない。仏法は「本因妙」といって、常に「さあ今から!」「これからだ!」と、前へ前へ進んでいく希望の哲学だからです。
青春の力は無限です。失敗も、苦難も、悩みも、全てをわが成長の力に変えていける。
英語で「虹」のことは? そう、「レインボー(Rainbow)」です。
単語を見てみると、そのなかに、「雨(Rain)」が入っています。まさに、「雨が降るから、虹がかかる」のです。
青春の日々だって、同じです。勉強が大変。友だちのことで悩む。部活が思うようにいかない。自分の性格がイヤだ……そうして流した心の涙や、努力の汗は、全てみんなを彩る七色の虹となる。
青春の悩みや労苦は、全て自身を限りなく成長させてくれる“恵みの雨”にできるのです。
そして、虹が輝くためには、太陽の光が必要です。
題目を唱えれば、自分の長所も短所も、喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも、一切を最善の方向へと生かしていくことができる。
どんな時でも題目を唱える人は、わが心の大空に悠然と太陽を昇らせて、必ず「勝利の虹」をかけることができるのです。
その後、79年2月の訪問では、40人のインドのメンバーとお会いし、こう申し上げました。
「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
友と語り合った4日後の2月11日、恩師・戸田城聖先生の誕生日の夜には満月が出ました。
戸田先生のお写真を側に置き、「月氏の国(インド)」の果てまで幸福の光を広げたいとの師の願いを胸に、インドの友の栄光の未来を、私は強盛に祈りました。
次にインドを訪れたのは92年の2月。日蓮大聖人の御聖誕770周年である16日は満月でした。この日、私はインドの友と質間会を開きました。
一人のメンバーが、遠慮がちに手を挙げて、質問してくれました。
「周りの皆さんは『雄弁』や『知性』『慈愛』を目標にがんばっていますが、私にはなかなかできません」
真剣な悩みでした。ゆえに私も真剣に、真心込めて答えました。
「ありのままの自分でよいのです。題目をあげきりながら、自分らしく、伸び伸びと進んでいけばよいのです」
「ありのままの“凡夫”そのもので進んでいく。題目根本に、少しずつでも向上していく。これが正しい姿であり、人間らしい生き方ではないでしょうか」
キラキラとはじけるような友の笑顔を、よく覚えています。
虹は、太陽の光が空気中の水滴に当たり、屈折して分解され、七色に見える現象です。一色に見える光の中に七色があるのです。
私たちもまた、ありのままの自分の中に、色鮮やかな人間の輝きが秘められています。ゆえに、飾らず、誠実に接していけば、その
輝きが友の心に映るのです。自分らしく真剣に向上しゆく姿が信頼を広げ、友情を広げるのです。
こうしてインドの広宣流布は、進んでいきました。
君たちと同年代の若き友が、口々に、師弟に生きる誇り、仏教発祥の国の広宣流布への誓いを述べていたと伺いました。
この様子を戸田先生がご覧になったら、どれほど喜ばれるだろうか──私の胸は熱くなりました。インド独立の大英雄マハトマ・ガンジーも、あの人なつこい笑顔で見つめておられるでしょう。
マハトマ・ガンジーは、言いました。
「成さねばならないことを何かあっても成すということが、『誓い』なのです。それが、強さの砦になるのです」
「誓い」は力です。自分の中に秘められた輝きに、強さに、智慧に、何倍もの力を与えてくれます。
世界には、あの地この地に、「誓いに生きる」友がいます。
皆さんが、その友とスクラムを組み、世界に「平和の虹」をかける日を、私は祈り、待っています。
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インディラ・ガンジーの言葉は、Rajiv,Penguin Books lndia。ラジブ・ガンジーは、シバサンカリ著『ラジーブ・ガンディーの旅』本田史子訳(せせらぎ出版刊)。マハトマ・ガンジーは、Mahatma Gandhi The Essential Writings,Oxford University Press。