小説「新・人間革命」 激闘31


 5月15日、山本伸一は、九州研修道場にあって、終日、研修会参加者らの激励に時間を費やした。そして、夕刻には、前日に引き続いて、自ら研修会を担当した。

 彼は、「今日は、私どもの信心を妨(さまた)げる第六天の魔王について、ともどもに思索してまいりたい」と前置きし、「辦殿尼御前御書(べんどのあまごぜんごしょ)」を拝していった。
 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海(しょうじかい)の海中にして同居穢土(どうごえど)を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224ページ)
 まず、この御文を通解した。
 「広宣流布を進めようとするならば、必ず第六天の魔王が十軍を使って、戦を起こしてくる。そして、法華経の行者を相手に、生死の苦しみの海のなかで、凡夫(ぼんぷ)と聖人(しょうにん)が共に住むこの娑婆(しゃば)世界を、『取られまい』『奪おう』と争う。日蓮は、その第六天の魔王と戦う身となり、大きな戦を起こして20余年になる。その間、一度も退(しりぞ)く心をいだいたことはない──それが、御文の意味です。

 なぜ、第六天の魔王が戦を仕掛けてくるのか。もともと、この娑婆世界は、第六天の魔王の領地であり、魔王が自在に衆生を操(あやつ)っていたんです。そこに法華経の行者が出現し、正法をもって、穢土(えど)である現実世界を浄土に変えようとする。それが広宣流布です。
 そこで魔王は、驚き慌(あわ)てて、法華経の行者に対して戦いを起こす。したがって、広宣流布の道は魔との壮絶(そうぜつ)な闘争(とうそう)になるんです。

 この第六天の魔王とは何か。人びとの成仏を妨げる魔の働きの根源をなすものです。魔王という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具(そな)わった生命の働きです。
 ゆえに、成仏というのは、本質的には外敵との戦いではなく、わが生命に潜(ひそ)む魔性との熾烈(しれつ)な戦いなんです。つまり、内なる魔性を克服していってこそ、人間革命、境涯(きょうがい)革命があり、幸せを築く大道が開かれるんです」

(2014年 4月26日付 聖教新聞