【第6回】 作家 樋口一葉   (14.9.1)

 
みんな「いいところ」ある
 いよいよ2学期が始まったね。
 夏休みは、なごりおしいものだけど、秋もまた、楽しい、充実の季節です。スポーツにも、読書にも、勉強にも、一番いい季節です。
 だから何か一つ、今学期は、これをがんばってみようというものを決めて、スタートしたら、どうだろうか。その挑戦が、大きな成長のチャンスになることでしょう。
 自分かいいなと思えるものでいいんだよ。好きなことや、とくいなことは一人一人ちがうからね。
 みんな、自分だけの、自分にしかない「いいところ」が必ずある。それも、いっぱいあるんだ。
 江戸時代から明治時代に大きく変わった世の中で、「 自分の『いいところ』は、いろいろなお話を作って、文章を書くこと」と気づいた、一人のに女性がいました。
 樋口一葉という人です。五千円札に印刷されているから、みなさんも顔を見たことがあるかもしれません。
 一葉は「小説」を、いくつも書き、日本文学の名作を残しました。その作品は、もともとは、むかしの言葉づかいで書かれていますが、小学生向けに読みやすくした本もあります。
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 樋口一葉は、今から140年ほど前の1872年(明治5年)、東京で生まれました。私たち創価学会の初代会長である牧口常三郎先生は1871年の生まれなので、一葉よりも一つ年上です。
 一葉とはペンネームで、本名は奈津。「なっちゃん」です。
 家庭のつごうで、住む家を何度も変えねばなりませんでした。
 4歳から9歳の少女時代、また本格的に小説に取り組んだ、18歳から亡くなる24歳までのほとんどの時期を、現在の東京・文京区でくらしました。
 文京区は、私にとって若き日から、多くの友と「前進」を合言葉に学会活動に走った、なつかしい天地です。ああ、このあたりで、樋口一葉が家族と暮らし、一生けんめいに小説を書いていたんだと、思いをめぐらせたこともあります。
 なっちゃん、すなわち一葉は、勉強が大好きでした。小学校を卒業したら進学して、ちっと勉強したいと願っていました。でも、そのころは「女性に学問はいらない」と考える人が多い時代でした。裁ほうや料理がに上手になって、早く結婚して家庭をつくることがよいといわれていたのです。
 一葉のお母さんも、そういう考えを持っていたので、一葉は進学させてもらえませんでした、深く悲しんでいる一葉を見て、お父さんは、学校のかわりに「和歌」を勉強する塾に通わせてくれました。
 「和歌」というのは、主に、ひらがなで数えて、「5文字・7文字・5文字・7文字・7文字」というルールに合わせ、自然や気持ちなどを表現する、目本の伝統的な詩です。言葉がリズムにのって、心から心に、すっと届きます。
 私も、人生の師匠である戸田城聖先生から、はげましの和歌をいただきました。私からも、先生に決意と感謝の和歌をおくりました。
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 14歳で和歌の塾に通い始めた一葉はすぐ気がつきました。生徒がみんな、きれいな着物を着た、お金持ちや有名な家のおじょうさんだったのです。人力車に乗ってくる人もいました。
 一葉も、せいいっぱい、身なりをととのえましたが、まわりの人たちのような、はなやかな着物は、家にはありませんでした。
 一葉は落ちこんでしまいました。しかし、自分を塾に通わせてくれているお父さんや、苦労して育ててくれているお母さん、また、妹のことを思いました。
 着ているものでは、人間のねうちは決まらない!──一葉は、気持ちをきりかえて、一生けんめいに勉強を続けました。
 みんなが、一年のうちで一番きれいに着かざってくる新年の歌の会にも、一葉はお母さんが用意してくれた、古着をぬい直した着物で出席しました。そして、60人以上の出席者の中で、すばらしい和歌を作り、みごとに第1位の成績をとったのです。
 このことで、一葉は自信を持つことができました。しっそな身なりをしていても、少しもはずかしくありませんでした。自分には、すばらしい和歌を作ることができるというっいいところ」がある。そう思った一葉は、自分の長所をもっともっと伸ばして、物語を書く仕事をしたいと考えたのです。
 じつは、彼女の時代には、そういう仕事をしている女性は、まだ一人もいませんでした。一葉は、日本の女性で初めての「職業作家(小説を書くことを仕事にして生活する人)」なのです。
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 新しい時代の先頭に立つ人は、きまって苦労の連続です。一葉にもその後、お兄さんとお父さんがつづけて亡くなるなど、たくさんの苦難がありました。書くだけでは家をささえられず、ほかにも仕事をしなければなりませんでした。
 それでも彼女は「負けじ魂」を燃やしました。たくさんの本を読みたかったので図書館に通い、学びに学んで、すばらしい物語を書きつづけました。
 有名な『たけくらべ』という作品は、下町で、みんなよりも少し年上の男の子や女の子が成長していく姿をえがいたものです。一葉は、大変な生活のなかで見たり聞いたりしたことを、物語に生かしていきました。苦しいことや悲しいことも、ぜんぶ宝物に変えていったのです。
 彼女は残念ながら、24歳の若さで、病気で亡くなりました。でも、そのみじかい人生のなかで、のちの時代まで人々に愛される、自分にしか書けない作品を生み出したのです。
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 樋口一葉は、こんな言葉を残しています。
 「この世に生をうけた人間は、貧富貴賤(貧しかったり豊かだったり、身分や位か高かったり低かったり」の違いはあっても、すべて同じ人間であることには変わりはない」
 その通りです。
 仏法では、「桜梅桃李」という言葉があります。「桜、梅、桃、李《すもも》、どれも花の形はちがうけれど、それぞれが、それぞれにしかない美しさを持っている」という意味です。
 そして、その美しさを最大に自分らしくかがやき光らせていく力が、正しい信心なのです。
 みんな、それぞれに「いいところ」があります。だから、自分と人をくらべてうらやましく思う必要などありません。
 がんばっても、がんばっても、なかなか、うまくいかない。自分の「いいところ」なんて分からない──そんな時は、題目を唱えてみてください。題目を唱えれば、元気が出てきます。自信がつきます。そして、よし、がんばってみようという勇気がわいてきます。
 「ありのまま」に悩み、祈り、また胸をはって挑戦していく──そうすることで、自分の心がみがかれる。心の中の宝物が光っていく。きみの、あなたの「いいところ」が、必ず見えてくるのです。
 みなさんの「いいところ」は、たくさんある。友だちにも「いいところ」がたくさんある。だから、仲よく、はげましあって、その「いいところ」を大いに伸ばしていってほしいんだ。
 「いいところ」とは、何かができることだけではありません。
 失敗をおそれない「勇気」があれば、すごいことです。
 お父さんやお母さん、まわりの人のことを「思いやる心」を持っていれば、それもまたすばらしいことです。
 樋口一葉心にはダイヤモンドがあるとも言っています。
 みんなも、自分の心のダイヤモンドを見つけよう!
 そして、そのダイヤモンドを大事にして、キラキラと、かがやかせていこうよ!
樋口一葉の言葉は、『完全現代語訳 樋口一葉日記』高橋和彦訳(アドレエー)から。参考文献は、真鍋和子著『樋口一葉』(講談社)。樋口一葉著『たけくらべ』(集英社)。