【第25回】師弟共戦の人生に誉れ(2014.8.21)

法華経末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞《ちょうもん》仕《つかまつ》り御弟子《みでし》となると仰せ候事、師壇《しだん》となる事は三世の契り種熟脱の三益《さんやく》別に人を求めんや(秋元殿御返事、1070㌻)
通解 (お手紙の中に) 法華経末法の始めの五百年に弘まると承って御弟子になりました とあるが、師匠となり、弟子となることは三世にわたる契りである。(法華経に説かれる)下種益《げしゅやく》・熟益《じゅくやく》・脱益《だっちゃく》の三益の法理も別の人に求めてはならない。
同志への指針
 大聖人の法門を聴き、弟子になると決意した門下に、師弟は「三世の契り」であり、正しき師匠を離れて成仏はありえないと仰せである。
 仏法は師弟の宗教である。師にめぐりあい、師と共に誓願の人生を歩む以上の福徳はない。戸田先生とお会いして67年。不二の心で生き抜いた広布の人生は晴れやかだ。そして、後継の弟子が二陣・三陣と続いてくれている。