【第38回】  信仰とは無限の希望なり  (2014.10.19)

伝統の教学部任用試験に、会友と共に多くの皆様が挑戦される。本当に偉大なことである。
 祈りから、宗教は生まれた。幸福になるために、信仰は生まれた。無宗教だという人も、何か祈っている。「苦境を脱したい」「よりよく生きたい」「家族を守りたい」などと強く欲するのは、人間として本然的な心であろう。その祈りと現実が、生命の法則の上から、きちんと合致していくようにしたのが、仏法の祈りである。
 仏法は、物心のあらゆる法の根本にある生命の大法を探究し、見いだした。これが妙法である。目には見えないが厳然と実在する妙法の力を引き出せるように、日蓮大聖人は御本尊を顕してくださった。
 戸田先生は、御本尊について「もったいないことだが、幸福製造機にたとえられる」と教えられた。強盛なる信力・行力によって、限りない仏力・法力を引き出していけるのである。
  仏法は、より高い境涯へ、わが生命の変革を教える。その究極が「一生成仏」であり、「人間革命」である。
 全ては人間から始まり、人間に帰着する。人間こそ大地であり、宗教は心の大地といえる。
 社会のさまざまな営みは、いわば、その大地に生じた木々や草花にもたとえられよう。
 大事なのは、その大地が、きちんと耕されているかどうか。健康で豊かな、みずみずしい生命力をもっているかどうかである。
 日蓮大聖人は門下の四条金吾に、天台大師の「信力の故に受け念力の故に持つ」との文を教えられた(御書1136㌻)
 信仰とは最極の信念である。最も尊く、最も強い。信仰ある人は、大変であればあるほど、「人間革命のチャンスだ」と喜び勇んで挑戦していける。信心こそ、無限の希望なのである。