小説「新・人間革命」広宣譜29 2014年 12月20日

山本伸一が、「『関西の歌』を作ってはどうか」と提案したのは七月初めであった。
関西の方面幹部は大喜びし、早速、青年部が中心になって歌の制作を開始した。
出来上
がった案を、関西長の西淵良治らで推敲し、練馬区北町の代表との懇談会が行われた七月八日の午前、伸一のもとに届けられた。
「友と舞う」との題名がつけられたその歌詞には、皆の苦労が偲ばれたが、残念なことには斬新さに乏しく、関西らしさがあまり感じられなかった。
関西の首脳にとっても、満足のいくものではなかったようだ。
そこで伸一は、自分が歌詞を作って関西の友に贈ろうと、この日の午後から、作詞に取りかかった。
自身の胸中にほとばしり出る思いを、率直に歌詞にし、口述していった。それを妻の峯子がメモしてくれた。
「今再びの 陣列に……」
冒頭は、この言葉しかないと思った。
「私と共に、無名の庶民がスクラムを組み、前人未到の歴史を開き、広布の金字塔を打ち立てた関西である。
自分と同じ心で、魔性の権力の横暴に憤怒し、血涙を拭って挑み立ち、常勝の大城を築いた関西である。
関西に
は黄金燦たる誇り高き原点がある。なれば、常にその原点に立ち返り、いよいよ『日々新生』の決意で立ち上がるのだ。
また、関西の同志との絆は、決して偶然でもなければ、今世限りのものではない。
広宣流布誓願して躍り出た地涌の菩薩として、久遠の使命に結ばれたものだ」
伸一は、心の底から、こう感じた刹那、「君と我とは 久遠より 誓いの友と 春の曲」との歌詞が口をついて出ていた。
峯子が、瞳を輝かせて言った。
「『春の曲』。いい言葉ですね。そこには、幸せも、歓喜も、躍動も、勝利も、すべてが凝縮されていますもの」
北町の代表との懇談が一段落した午後七時ごろ、伸一は席を外した。
そして、「関西の歌」に推敲を加えたあと、関西総合長の十和田光一に電話を入れた。