小説「新・人間革命」 勝利島 33 2015年8月28日
広布の潮は、昭和三十年代に入った一九五五年ごろから、各島々に、ひたひたと押し寄せ、年ごとに水かさを増していった。
また、奄美大島の古仁屋で開かれる会合にも、手漕ぎ舟に乗って出かけた。
四、五人が同乗し、数時間がかりで海を渡っていくのだ。
皆、雨合羽を着て乗り込むが、波が高ければ、水しぶきで服は水浸しになる。
舟を漕ぐ腕は痛み、体は疲れ果てる。
しかし、「ひと漕ぎするたびに宿命転換が近づく」と、励まし合い、荒波を越えていった。
自分たちを運ぶために、自分たちで漕ぐことから、〝お客なし舟〟と言って笑い合った。
加計呂麻島の同志も意気軒昂であった。
一日に五キロ、十キロと島内を歩いて友人の家を訪ね、仏法対話に励んだ。
ハブは夜行性で、夜は危険度を増す。
草むらなどでは、いつ襲ってくるかわからない。
夜、学会活動に出かける時には、松明や石油ランプで足元を照らしながら、片手に長い柄のついた鎌や棒を持って、道の草を払いながら進むのである。
雨の降る日、座談会の帰りに林道を歩いていると、傘の上に、ドサッと何かが落ちてきた。
ハブであった。また、雨宿りをした小屋のムシロの下に、ハブがいたこともあった。
使命に目覚めた民衆には、あらゆる障害をはね返す力がある。
友の幸せを願う民衆の不屈の行動で、日蓮仏法は広がっていったのだ。