小説「新・人間革命」常楽14 2016年 1月18日
滝泉寺院主代の行智は、正法に帰依した僧たちに、敵意を露わにして迫った。
この脅しに屈し、退転していく者もいた。難は信心の真偽を試す。
行智の言に従わなかった日秀、日弁は、滝泉寺にいることができなくなった。
しかし、寺内に身をひそめながら、熱原郷をはじめ、他の郷にも弘教にでかけていった。
彼らの信望は厚く、広宣流布の火は燃え広がり、弘安元年(一二七八年)に、熱原の農民である神四郎、弥五郎、弥六郎の兄弟が信心を始めた。
この三兄弟が、熱原の農民信徒の中心になっていったのである。
唱題の声は、あの家、この家から、熱原の田畑に響き、弘安二年(七九年)のうららかな春が訪れた。
法華衆の広がりを苦々しく思っていた行智は、いよいよ農民信徒にも迫害を開始した。
四月、浅間神社の祭礼が熱原郷内にある分社で行われた。
流鏑馬の行事で賑わうなか、雑踏に紛れて、法華信徒の四郎が何者かに襲われ、傷を負ったのである。
そして八月、今度は門下の弥四郎が殺害されたのだ。
弾圧の凶暴な牙は、農民信徒にとって、大きな恐怖となったにちがいない。
日蓮大聖人は、「異体同心事」のなかで、熱原の人びとのことに触れて、こう仰せになっている。
団結は、皆を勇者に育む。団結があるところには、勝利がある。