2016-01-24から1日間の記事一覧

第1回 さあ新しき出発だ (2016.1.20)

戦いは大胆に! 勇気と歓喜の舞を 大切な一日一日を断固と勝ち切れ この年頭、心新たに拝した御文《ごもん》がある。 日興上人が御年八十八歳の正月に留められた「遺誡置文《ゆいかいおきぶみ》」である。 前書きには、「於戲《ああ》仏法に値うこと希《まれ…

【第3回】 誓いの師子よ 広布の旗高く  (2016.1.22)

冬晴れの光に包まれ、懐かしい埼玉文化会館を訪れた(20日)。埼玉、関東はじめ全同志の無量無辺の福徳と勝利を妻と深く祈念した。 1階ロビーには、幾たびも共に歌った県歌「広布の旗」の歌碑が輝いていた。 ♪あの峰この河 埼玉は 恐るるものなし 師子の子は…

【第2回】 幸福は友のために生きる中に  (2016.1.16)

あすは阪神・淡路大震災から21年。お亡くなりになられた全ての方々を追善し、懇ろに題目を送らせていただいております。 生命は永遠です。亡き家族も、今を生きる皆様と一体です。笑顔で見守っておられると確信します。 皆様が、大災害にも屈せず、人間の復…

小説「新・人間革命」常楽19 2016年 1月23日

初代会長・牧口常三郎は、宗門が軍部政府の弾圧を恐れて神札を祭り、日蓮大聖人の御精神に違背するなかで、正法正義を守り抜いて獄死した。 この死身弘法、殉教の歴史こそが、創価学会の精神の原点である。 師の牧口と共に投獄され、後に第二代会長となる弟…

小説「新・人間革命」常楽18 2016年 1月22日

迫害を受けた熱原の農民信徒、なかでも神四郎、弥五郎、弥六郎の三兄弟の殉教は、幸福を確立するためという信仰の目的とは、対極にあるように思えるかもしれない。 生命は尊厳無比であり、守るべき最高の宝である。 では、なぜ日蓮大聖人は、「かり(仮)に…

小説「新・人間革命」常楽17 2016年 1月21日

熱原の農民信徒の生き方、振る舞いは、信心の究極を物語っている。 信心とは、学識や社会的な地位、財力などによって決まるものではない。 それは、法難という大試練に直面した時、決して怯むことなく、敢然と立ち向かう勇気、決定した心である。 そして、今…

小説「新・人間革命」常楽16 2016年 1月20日

「法華経を捨てよ」と迫る平左衛門尉頼綱に対して、熱原の農民信徒は、声も高らかに唱題を響かせた。それは、不惜身命の決意の表明であった。 激昂した頼綱は、次男である十三歳の飯沼判官資宗に、蟇目の矢で農民たちを射させた。 この矢は、桐材を鏃とした…

小説「新・人間革命」常楽15 2016年 1月19日

熱原の農民信徒は、互いに励まし合い、決して信心が揺らぐことはなかった。行智の一派は、さらに悪質な弾圧の奸計をめぐらした。 弘安二年(一二七九年)九月二十一日、稲刈りのために農民信徒が集まっていた。 そこに、下方政所の役人らが、弓馬をもって大…

小説「新・人間革命」常楽14 2016年 1月18日

滝泉寺院主代の行智は、正法に帰依した僧たちに、敵意を露わにして迫った。 ──法華経は信用できぬ法である。すぐに法華経を読誦することをやめて、ひたすら阿弥陀経を読み、念仏を称えるという起請文(誓詞)を書けば、居る所は保障してやろう! この脅しに…

小説「新・人間革命」 常楽13 2016年 1月16日

十月十日、ガルブレイス博士との対談を終えた山本伸一は、大阪へ向かった。 関西での諸行事に出席し、さらに、静岡へ行き、総本山で営まれる熱原法難七百年記念法要に参列することになっていたのである。 大阪への空路、伸一は、熱原法難について思索をめぐ…

小説「新・人間革命」 常楽12 2016年 1月15日

ハーバード大学での講演の翌日、山本伸一は妻の峯子、長男の正弘らと、同大学の近くの閑静な住宅街にあるガルブレイス博士の自宅を訪問した。 レンガ色の壁に、ピンク色の縁取りがなされた瀟洒な家であった。窓の外の木立には、愛らしいリスの姿も見えた。 …

小説「新・人間革命」 常楽11 2016年 1月14日

ガルブレイス博士は、会談の翌年、総合月刊誌『文藝春秋』の四月号に、「ガルブレイスのニッポン日記」(訳・杉淵玲子)と題する一文を寄せた。 そのなかで、山本伸一との会談の内容についても触れていた。 「中国やソ連の問題、核兵器の管理、貧しい国々に…

小説「新・人間革命」常楽10 2016年 1月13日

山本伸一は、さらに、仏法の役割について論じていった。 「政治も、経済も、科学も、本来、すべてが人間の幸福を追求するものですが、それらは制度や環境的側面など、人間の外側からの幸福の追求です。 それに対して、宗教は、人間の内面世界からの幸福の追…

小説「新・人間革命」常楽9 2016年 1月12日

ガルブレイス博士は、人間はイデオロギーにとらわれてしまうと、現実から目をそらし、思考から逃避して、理論の鋳型にはめて物事を判断するようになることを危惧していた。 山本伸一も、イデオロギーや理論といった、あらかじめ定められた外的な規範に、自ら…