小説「新・人間革命」常楽19 2016年 1月23日

初代会長・牧口常三郎は、宗門が軍部政府の弾圧を恐れて神札を祭り、日蓮大聖人の御精神に違背するなかで、正法正義を守り抜いて獄死した。
この死身弘法、殉教の歴史こそが、創価学会の精神の原点である。
師の牧口と共に投獄され、後に第二代会長となる弟子の戸田城聖は、獄中での、〝われ地涌の菩薩なり〟との悟達を胸に、生きて獄門を出て、広宣流布に生涯を捧げた。
「なんのために死ぬか」とは、裏返せば、「なんのために生きるか」ということにほかならない。二つは表裏一体である。
正法正義を守り抜いて殉教した師と、その遺志を受け継いで、生涯を広宣流布に捧げて戦い抜いた弟子――この二人を貫くものは、「死身弘法」の大精神であり、実践である。
山本伸一は、今、創価学会という大ジェット機は安定飛行を続けているが、広宣流布の旅路には、熱原の農民信徒や牧口初代会長の時代のように、激しき乱気流も待ち受けていることを覚悟していた。
しかし彼は、会長として、〝断じて殉教者を出すような状況をつくってはならない。
もしも殉難を余儀なくされるなら、私が一身に受けよう!〟と固く心に誓い、必死に操縦桿を握っていたのである。
だが、広宣流布を推進していくには、それぞれに死身弘法の覚悟が必要である。
その決定した一念に立ってこそ、一生成仏も、宿命を転換することもできるのだ。
死身弘法の覚悟とは、〝人生の根本目的は広布にあり〟と決めることだ。
そして、名聞名利のためではなく、人びとに仏法を教えるために、自らの生活、生き方をもって、御本尊の功力、仏法の真実を証明していくのだ。
広宣流布のために、〝健康になります。健康にしてください〟〝経済革命します。経済苦を乗り越えさせてください〟〝和楽の家庭を築きます。築かせてください〟と祈りに祈り、学会活動していくのだ。
広布誓願の祈りは、仏、地涌の菩薩の祈りであり、それゆえに諸天を、宇宙の一切を動かしていく。